斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」
人間を壊すSNSに規制を
さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。
赤の他人に殺害予告メールを送り付けた14歳の女子中学生が書類送検された。11月下旬のことである。
被害に遭ったのは、2019年4月に東京・池袋で暴走する車に妻子を奪われた松永拓也さん(38)。少女は「私的な悩みがあり、警察が動けば、相談に乗ってくれる場所を紹介してくれると思った」との旨を供述したという。
最近はこんなニュースばかりだ。何の恨みもない相手を傷つけるための言葉で溢れているのが今の日本列島だ。
攻撃を避ける手立ては皆無に近い。芸能人でもスポーツ選手でもない松永さんは、せめて辛い体験を教訓にしてほしいと重ねている交通事故防止の啓発活動で、かえって誹謗(ひぼう)中傷の標的にされてきた。今回は差出人が未成年だったので騒がれたに過ぎない。
いったいいつまで、こんな世の中が続くのだろう、などといったカマトトは言わない。少なくとも10万年くらい先にならないと、要はおそらくは半永久的に解決されることはあるまいと、筆者は思う。
なぜならSNSは、人間の最も弱い部分をむき出しにさせるパワーそのものだから。これを理性的に制御し、致命的なデメリットを多少とも排除するには、人間はあまりに未成熟なのではないか。
SNSは、いずれ人間を内部から腐らせ、崩壊させていく。ある意味では核兵器並みか、あるいはそれ以上に恐ろしい凶器になり得ると、筆者は憂慮している。
わかりきっているから、例えばオーストラリア議会は先頃、16歳以下のSNS利用を禁じる法案を可決した。違反したプラットフォーマーには、最大で約50億円相当の罰金を課せられる法体系だ。
子どもでなければ問題ない、ということではもちろん、ない。もはや全面的に禁じることが不可能であるがゆえの、便宜的な対応だ。それでも、一刻も早い追随を、日本の国会にも望みたい。