「盛岡だより」(2025.2)
野中 康行
(日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)
春よ来い
2月3日が立春。暦の上ではこの日から春がはじまる。北国・岩手は寒さがもっとも厳しい時季だ。つい「春よ来い」とつぶやいてしまうときでもある。
このフレーズから、私は童謡の『春よ来い』を思い出す。
♪ 春よ来い 早く来い/歩き始めたみいちゃんが/赤い鼻緒のじょじょはいて/おんもへ出たいと 待っている……
1923(大正12)年、雑誌『金の鳥』に発表された相馬御風の詩に、弘田龍太郎が曲をつけたなじみの童謡である。
御風は文学者、詩人、歌人で、早稲田大学の校歌『都の西北』などを作詞している。故郷は、累積積雪量が4メートルを超す豪雪地帯の新潟県糸魚川市。この歌には、冬は外で遊べない子どもへの暖かい思いやりと、子の成長を願う親の心情がよく表れている。
私が真っ先に思い浮かぶのは童謡のそれだが、若い人なら、松任谷由実作詞作曲の『春よ来い』だろう。
この楽曲は、1994(平成6)年のリリースで、同年10月3日から放送されたNHK連続テレビ小説の主題歌でもある。もう30年も前になるが、今もいろんなアーチストがカバーしている人気の曲だ。
♪ 淡き光立つ/ 俄(にわか)雨/いとし面影の沈丁花/溢るる涙の蕾から/ひとつひとつ/香り始める……
詩は春の印象風景から始まるが、少々難解だ。この詩をどう解釈するかどう受け止めるかは、人それぞれであろう。
まぶたを閉じれば、去ったあなたはそこにいる。心の迷いはあなたの眼差しで癒されているが、私は新しい一歩を踏み出せないでいる。でも、そのときはきっとくる。それが「春よ/遠き春よ」だと解釈する人もいるだろう。
また、「春よ/まだ見ぬ春/迷い立ち止まるとき/夢をくれし君の……から、わたしが迷ったときは、あなたへの想い、あなたのくれた愛と夢、面影と眼差し に私は支えられている。と解釈する人もいるかもしれない。
童謡の『春よ来い』の「春」とは、季節の春であり、みいちゃんの豊かな将来でもある。一方は、葛藤でもがく自分が、その苦しみから脱却する希望を「春」にたとえている。松任谷由実は、冬の終わりと春の始まりを人生の新たな始まりと再生の象徴として描き、誰でもが持っている内面的な葛藤を多彩な比喩で表現した。
この曲が聴く者の共感を得ているのは彼女の歌唱力でもあるが、詩の普遍性にあると私は思う。
冬の寒さにうんざりしたときもそうだが、苦しいとき、悲しいとき、世の矛盾に耐えているときには、誰でも「春よ来い」と叫びたくなるはずだ。今、それを叫んでいるのは能登地震の被災者たちであり、年末年始に豪雪に見舞われた人たちであろう。
政治のひずみで苦しんでいる多くの人たちもまた、「春よ。早く来い」と願い、解放される春を夢みている。歌は「夢よ/浅き夢よ」とあるが、その願いを持ち続ければ夢では終わらないはずだ。