損保経営者がけっしてすすめない本

 

 

   自由主義者は戦争を止められるか

                    岡本敏則

 


  英国の政治学者John GrayによるLiberalistの定義。「自律的に自分自身を支配し、他者によって支配されないこと」
 上田美和(1973生早大講師 日本近現代史)が対象としたのはLiberalistを自称した芦田均、清沢洌、石橋湛山の3人。
 芦田均(1887~1959)東大卒、外交官試験に合格しロシア大使館、ベルギー大使館に勤務後退職し立憲政友会に入党。「ジャパンタイムズ」社長に就任。1940年軍部批判を行った斎藤隆夫民政党議員除名に反対する。戦後は民主党総裁になり、1948年首相となるが、昭和電工疑惑で総辞職に追い込まれる。
 清沢洌(1890~1945)米国ホイットウォース大学卒業後「中外商業新報」「朝日新聞」記者を務めたジャーナリスト。国際協調外交を唱えた。著書に『暗黒日記』(1942~45)がある。
 石橋湛山(1884~1973)、早大卒業後東洋経済新報社に入社し、主幹・社長を歴任。自由主義・小日本主義の論陣を張った。戦後は日本自由党に入党するが、公職追放、解除後は自由民主党に入り、1956年首相に就任するが病気のため内閣は63日で終わった。
 3人の戦時中の発言を見てみよう。
 「立憲政治の擁護を名乗り、吾は最後の一人となるまで憲法を護らん」(芦田1937)。
 「私は軍備を思い切って縮小するほど日本を活かす方法はないと思う」(清沢1929)。
 「如何に善政を布かれても、日本国民は、日本国民以外の者の支配を受くるを快とせざるが如く、支那国民にも亦同様の感情の存することを許さねばならぬ」(石橋1931)。
 上田は3人が満州国を認める等「自由主義がナショナリズムという属性を持っている」ことを指摘、「自由主義だけでも、自由主義なしでも戦争を防ぐことが出来なかったのではないか」と問い「戦争を止めるには、自由主義に「何か」を足すことが必要なのではないか」と考える。
 「何か」とは、私たちの課題でもあろう。