雨宮処凛の「世直し随想」
謎を残した裁判
2月19日、神奈川県相模原市の障害者施設で19人が殺害された事件の裁判が結審した。公判を8回傍聴した。裁判の前半、植松聖被告の友人たちの供述調書が読み上げられた。浮かび上がる人物像はフットサルとバーベキューが好きな「チャラい」若者。事件前年から「障害者を殺す」としきりに口にするようになったという。
が、裁判の中盤、その「植松像」が覆される出来事があった。「あなたは小学生の頃、『障害者はいらない』という作文を書いていますね?」という被害者側弁護士に問われた被告は「はい」と答えた。書いたのは低学年の頃だという。
それまでのストーリーがガラガラと崩れた。働き始めた当初は「障害者はかわいい」「やりがいがある」と言っていたものの、事件前年からしきりに「障害者はかわいそう」「食事もドロドロ」「車椅子に縛りつけられている」と言うようになり、それが突然「殺す」に飛躍した、というのがこれまでの理解だった。
意識が変わった背景には他の職員たちの言動もあったようである。入所者に命令口調の者がいたり、暴力を振るう者がいるという話も耳にしたりしたようだ。「2、3年やればわかるよ」。植松被告は職員にそう言われ、以来、自身も入所者の鼻を小突いたりするようになったという。
ここは事件につながる大きなポイントだと思う。一方で幼少期から差別意識があったのだとしたら。裁判では成育歴はあまり触れられず、親の証言も一切出ていない。謎ばかりを残して結審したことが、残念でならない。