感染リスクとファシズム


守屋真実

もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 


 戦争法5年目、ママと一緒に

  

             9月11日、経産省前テント広場の10年目大集会が行われた。福島第一原発の事故に抗議して2011年9月11日から座り込みを始め、この日で丸9年が過ぎた。テントは残念ながら16年8月21日に撤去されてしまったのだが、それでも毎日座り込み続けて、実に3289日を数えた。ずっと続けてきた人々に心からの敬意を表する。また、この間に他界された方々のご冥福をお祈りする。

 

 この日は、弁護士の河合弘之さん、ルポライターの鎌田慧さんなどの著名人や座り込み者のスピーチ、福島からのメッセージなど多彩な顔ぶれで、コロナ禍にもかかわらず300名が集った。最高齢は92歳の女性。私もこの一年余り毎週金曜日に参加しているので、集会後のミニコンサートに出演した。

 

 他の反原発団体が思いがけず早々と3月から活動休止したのに対し、テント広場は休まず続けてきた。私たちの官邸前スタンディングもだ。幸運もあったかもしれないが、いずれも感染者を出してはいない。休止する団体と続ける団体。コロナ禍で諸団体の性格が示されたように思う。

 緊急事態宣言が出された時、正直言って私も活動を続けられるだろうかと思った。自分では、人が集まってはいけないなら一人で歌おう、歌ってはいけないならサイレント・スタンディングをしようと思っていた。でも、辺野古抗議行動のリーダーに尋ねたら、「少人数だし、屋外だから続けていいんじゃない。ただの要請なんだから」という答えがあっさりと返ってきた。欧州諸国のように罰則を伴う外出禁止令が出されたら休止もやむを得ないが、それまでに一回でも多く抗議行動をしようという意見だった。これが沖縄の人の強さだなと思った。テント広場の人々と共通しているのは、優等生的発想をしないことだ。ある意味ではアバウトと言えるかもしれない。でも、それが市民的非服従を貫くしぶとさだと思う。

 新型肺炎を「ただの風邪」などと言う人命軽視の政治家は言語道断だ。高齢者や持病のある人が外出自粛をするのは当然だし、そのために活動を休止した人を非難するつもりは毛頭ない。けれど、政府の公式発表の多くが「大本営発表」であることを知っているはずの人々の多くもまた、未知の脅威の前に委縮したのではないか。休止を考えるより先に、白紙のプラカードを掲げて闘いを続ける香港民主派の人々のように何とか続ける方法はないものか、もっと模索してもよかったのではないかと思うのは、私が無鉄砲すぎるからだろうか。 

 

 これからも繰り返されるであろうパンデミックに備えてIT技術の活用はもちろんだが、大きな団体も素早く小さなグループに分かれたり、それまでのスタイルにこだわらない活動に切り替えられる可塑性を持つ工夫が必要になるだろう。軍事費には多額の税金を投入しても社会保障削減する政府、コロナに乗じて壊憲をたくらむ政府、お友達企業にだけはもうけさせる政府の要請に従順である必要はないと私は思う。自粛要請に従うことは、民主主義の放棄にもつながりかねないことをどれだけの国民が意識していただろうか。大人数で休止するより、少人数でも続ける方がいい。健康に留意することはもちろん大切だが、感染を恐れてファシズム体制を受け入れるか、民主主義を守るためにリスクを受け入れるかという選択なら、私は迷わず後者を選ぶ。