雨宮処凛の「世直し随想」

              この国の不幸


 「自助・共助・公助」という言葉が最近注目されている。

 自民党総裁選への出馬時に菅義偉氏が繰り返した言葉だ。「まず自分でできることは自分でやる。自分でできなくなったら家族や地域で支えてもらう。それでもダメだったら国が責任を持って守ってくれる」

 そんなことを会見やメディアで話しているが、貧困の現場で16年間活動する私にとって、彼のいう自助とは「自己責任で何とかしろ」。共助とは「一家心中するまで家族で助け合え」「共倒れするまで地域で助け合え」。公助は「何もかも失わないと公的福祉は機能しないから、やっぱり自分で何とかしろ」という意味にしか思えない。

 なぜなら、コロナ禍の現在、公助が機能しているようにはちっとも思えないからだ。3月に貧困問題に取り組む団体で立ち上げた「新型コロナ災害緊急アクション」には、今も連日のようにSOSが届いている。「何日も食べていない」「アパートを追い出されて路上生活になった」「残金10円」など緊急度が高いものばかりだ。

 現在までに千人以上に約2千万円の現金を給付し、公的制度につなげるなどで命をつないできた。だが民間がボランティアでやるにはもう限界を超えている。政府交渉で「公的な支援を」と訴えているものの、遅々として進まない。

 コロナ禍という異常な状況だからこそ、安心できるメッセージを発すればいいのに、「偉い人」にはやっぱり庶民の生活は見えていない。

 それがこの国の一番の不幸だと思う。