ドイツ政府への信頼感


守屋真実

もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 


 新型コロナウィルスの影響で多くの集会が中止や延期になり、屋外で歌うことが好きな私は欲求不満気味だ。
 首相官邸前の辺野古埋め立て反対スタンディングと隔週月曜の「桜を見る会」追及集会は継続しており、小さな集会にはそれなりの強さがあるのだと確認した。感染予防に留意することは必要だが、過度な自主規制は権力の側に利することも忘れてはならないと思う。
 ドイツの元同僚が、メールで最近の様子を知らせてくれた。会社では、各課をグループに分け、今週はAグループが休み、来週はBグループが休みというようにして通勤時や社内の混雑を防いでいるという。休みの週の賃金の60%は国が補償するそうだ。危機に際して、みんなが少しづつ痛み分けしようという発想だろう。会社の食堂も近所の飲食店も閉まっているのは不便だが、命を守るためにはやむを得ないという意見だった。ちなみに、ドイツでは1日2万件以上のPCR検査を行うことができ、検査は無料ということだ。
 日頃人権侵害に敏感なドイツ人が、今回はずいぶん従順に政府の要請に従っているなと思っていたのだが、その背景には、納得できる説明と経済的補償があり、たとえ今一時的に集会や移動の自由を制限されても、政府がそれを利用して思想や言論の統制を拡大したりはしないという信頼感、政府は国民の生命を守るために措置を講じているという信頼感があるからではないだろうか。
 

 日本では、リーダーシップをとれない首相の下で、国民は漠然とした不安を抱いて右往左往している。感染症の専門家の意見も様々だが、いずれにしても、根拠が明確でないまま一斉休校やイベント自粛を要請し、国民に負担を強要するだけの政府のやり方に国民が納得できないのは当然だ。政府が、国民の命と生活を守ってくれるという信頼感を持っている人がどれだけいるだろうか。リーダーシップとは、独りよがりの思い付きで物事を進めることではない。それどころかアベ政権は、この機に乗じて新型インフルエンザ等特別措置法を改悪し、独裁への道を開こうとしている。この法案に賛成した野党政党は、いったい何を考えているのかと怒りを感じる。
 特措法改悪で、なぜアベ政権がPCR検査を拡大しないのかが読めたような気がする。検査の実施数が増えれば、それだけ分数の分母が大きくなり、致死率は低くなるだろう。政府は広範な検査を実施して国民を安心させたいのではなく、逆に国民の不安を煽りたいのではないかと推測する。なぜならば、不安や恐怖は人間の理性を麻痺させ、均一集団への同調圧力を強め、排他的にさせる。端的な例が、関東大震災後の朝鮮人や社会主義者、自由主義者の虐殺だ。その後、社会の混乱を収めるという名目で治安維持法が作られた。今回も国民が不安に取りつかれ、中国や韓国に対する敵視を強め、憲法改悪をしやすくなることを狙っているのではないだろうか。「ナチスの手口」とは、緊急事態法を作る以前に、そういう法律を容認する、あるいは、やむを得ないと感じさせる世情を醸し出すことに始まる。私たちは今、まさに薄氷の民主主義の上に生きているのだ。
 

 その一方で、今まで政治的意見を言うことのなかった若い同僚が、言葉の端々に政権の対策への不満をにじませるようになったのも事実だ。私が働いている放課後等デイサービスは、この3週間時間を延長して午前中から開所しており、スタッフは毎日1~2時間長く働かざるを得ない。利用している子どもの数は少ないが、障害の軽い子が自宅にとどまり、重度の子どもが多く来るので、スタッフを減らすわけにもいかない。食事や排泄が一人でできない子どもとの濃厚接触は避けられないが、マスクも消毒用アルコールも足りない。学童保育には国からの支援が導入されたが、民間の放デイには何の経済的援助もない。だから、政治に無関心な若者でも、政府の無計画さ、無責任さは如実に感じている。多くの人が不満を感じている今が、政治を変えるチャンスでもある。
 戦争体験者は、今こそ子供や孫に話してほしい。学校で勉強することも、スポーツや芸術に励み、演劇やコンサートを楽しむこともできない時代があったことを、華やかな卒業式も結婚式もできなかったことを伝えてほしい。統制された平和など嘘っぱちで、ちっとも楽しくないのだと、今なら実感を持って受け取られるだろう。失ってから嘆くのでは遅すぎるのだ。