守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

             続けてきた甲斐があった


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   (写真は9月19日、Tさんと)


 9月19日は戦争法強行採決から丸6年目だった。ということは、私の国会周辺での歌の活動も6年を過ぎたことになる。

 戦争法の時に居ても立っても居られない危機感と怒りにかられ永田町に出かけたら、国会図書館前でうたごえ協議会のTさんが一人で歌っていた。大泉生協病院の支部活動で歌の指導もしている人なので顔だけは知っていたから、「一緒に歌わせてください!」と言ったのがことの始まりだ。最初は「変なやつ」といった目で見ていたようだったけれど、毎回押し掛けて集会の前と後に歌うので、そのうち一緒に歌うのが当たり前になった。

 ある時、出遅れて集会開始ぎりぎりに到着したら、「もっと早く来なきゃ練習できないじゃない」と怒られた。でも、怒られたことより、待っていてくれたことが嬉しかった。Tさんは中央合唱団で関鑑子さんの指導を受けた本格派なので、難しい合唱曲も教えてもらった。今ではほとんどの人が知らない昔の歌を一緒に歌えるのもうれしい。突然の豪雨にずぶ濡れになったことも、寒さに凍えながら歌ったこともあった。

 毎月19日の国会周辺行動を二年半余り続けたところでTさんが体調を壊し、しばらく来られないことになってしまった。せっかく一緒に歌ってくれたり、手を振ってくれたりする参加者ができたのに、ここでやめるのは何としても惜しいと思い急遽ギターを買ったけれど、Tさんが復活するまでの3か月ほどだけのつもりだった。簡単な歌を数曲なんとか暗譜して、下手くそなのは百も承知で、やらなければ上手くもならないからギターを持って首相官邸前などに行くようになった。いかにも素人なのが意外と良かったのかもしれない。いろいろな人が気軽に声をかけてくれ、一緒に歌ってくれた。それに気をよくして続けているうちに、毎週一緒に歌う仲間ができ、最近は集会にお呼びがかかるようになった。本当に歌は人を繋ぐものだなと思う。

 目下、私の最高の楽しみは、ヨーロッパのように広い街並みの永田町や霞が関で歌うことである。電線のない空の下で大きな声を出すと、たとえ雨でも雪でも開放感がある。ドイツに比べたら劣悪としか言えない労働条件や生活環境、社会保障の低さ、主権者意識のない国民と、腹の立つことばかりの毎日でも心身の健康を保っていられるのは歌があるからだと思う。好きなことをして平和を守り、社会を変える運動の一滴にでもなれたら、こんなにうれしいことはない。

 Tさんと知り合わなかったら、歌の活動をするなんて絶対になかっただろう。ひとつの出会いが、こんなにも人生を豊かにしてくれることがあるのだ。幸運に感謝!