昭和サラリーマンの追憶
「寝そべり族」が地球を救う
前田 功
中国発だが、日本の若者たちの間でも、「寝そべり族」への共感が広がっているそうだ。
「家を買わない、車を買わない、結婚しない、子供を作らない、消費しない、頑張らない」で、あくせく働かず精神的にゆとりある生活を送ろうという考え方だ。あまりにも競争と格差が厳しい世の中に、若者が「低欲望」「低消費」で抵抗し始めたのだ。
筆者が若い時代には、家が貧乏でも、まじめに勉強や部活を頑張り、いい学校に入って、いい会社にでも入れば、上を目指すことが可能だったし、それを実現できた人も多かった。多くの人々の所得は年々増加し、生活水準は一昔前の「中流」のレベルに達し、「一億総中流」と言われていた。
当時も、細かく見れば、いろいろな面で格差はあったのだろうが、目立たなかった。それがいまや、「ワーキングプア」とか「勝ち組・負け組」といった言葉が日常的に使われ、誰にもわかるひどい格差社会だ。一日8時間、懸命に働いても、自分一人なら食えるかもしれないが、結婚して子供を作って家族を養うなんて、生まれや育ち、そして運に恵まれなければできそうにない。
資本主義の進展、いや劣化とともに、持てる者と持たざる者の格差がどんどん大きくなってきた。
格差が小さい間はいい。それは頑張ろうというモチベーションになるから。しかし格差が拡がって、それが固定されて、どんなに努力しても上に行くことができなくなると話は違ってくる。どんなに努力してもそれが無意味なものになると、逆に無力感が漂い、「何をしたって無駄なんだ」とすべてを放棄するようになる。何をしたって無駄なのだ、ならば何もしないほうがいい。そう考えたのが、「寝そべり族」だ。
「寝そべり族」は「できるだけ働かない」「できるだけ消費しない」がモットーだ。
労働者が働くということは、資本主義の下では、搾取されるということであり、資本家のために剰余価値を作り出すことだ。「できるだけ働かない」ということは、搾取される機会をできるだけ少なくしようということだ。また、現代の資本主義は、広告などで欲望を掻き立てて不要な消費を作り出すことで存続している。「できるだけ消費しない」ということは、そのたくらみに乗らないということだ。これは資本主義に対する「非暴力的、非協力的な抵抗」だ。
「消費しない」「働かない」人間は、資本主義にとっては癌なのだ。彼らの「低欲望」「低消費」によって、資本主義は体内から蝕まれ、終わりを迎えさせられることになるかもしれない。
話は変わるが、このところの記録的な豪雨や猛暑などは地球温暖化が原因で、CO2を減らさなければならないと、多くの人がレジ袋をもらわずバッグを持ち歩くとか電気自動車を買うとか、を心がけている。しかしその一方で、同じその人が、大きな家に住むとか、ご馳走を食べるとか、海外旅行をする、高額な医療を受ける、といったことをしている。結果、国や世界といったマクロなレベルで見ると、CO2 はなかなか減らない。
「消費しない」ということは、このCO2を出さないということだ。
「寝そべり族」が地球を救うことになるかもしれない。