昭和サラリーマンの追憶

蘇るか?日本的経営

      

 

           前田 功


 私が現役のころ、日本の会社の多くは、日本的経営にどっぷり浸かっていた。その特徴を、経営学者は「3種の神器」と称して、「終身雇用」、「年功序列型賃金体系」、「企業内組合」をあげるが、私の感覚では、会社は家族のような運命共同体で、従業員こそが企業発展の源とされ、人材育成に力を注いでいた。従業員は、自社のことを「ウチ」といい、「会社は俺たち従業員のもの。その盛衰は俺たちの将来にかかわる。老い先短い役員たちの言いなりでは危ない」。そんな気概で仕事に取り組んでいた。

 当時、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本がベストセラーとなり、日本的経営が欧米から賞賛され、多くの日本人は、それを誇りに思った。

 また、職場の中では、「こちらよし」「先方よし」「世間よし」の「三方よし」という言葉がよく使われ、(少なくとも私は)会社で働くことを通じて社会に貢献しているという実感を持っていた。

 

 それが、平成バブル崩壊後、全否定され、やってきたのが株主資本主義だ。会社は株主のものだと言い、株主の利益を最大化することをすべてに優先する。人件費は株主の利益を妨げるものだとして、その節減を経営上の重点項目とし、経営幹部は、従来は家族と同様だった仲間の首を切る。そうしなければ、自らのポジションを守れない情けない立場だが、株を持っているので、仲間の首を切ることで、結果として高い報酬を得る。この30年間の貧富の差の拡大や、日本の沈滞はこういう企業の経営姿勢に原因があると思う。

 昭和の日本的経営にもよろしくないところは多々あったと思うが、今の株主重視経営ほどの悪しき弊害はなかった。

 

 このところ世界的にも、株主資本主義への批判が高まっている。昨年1月、株主資本主義から、従業員とその家族、顧客まで含んだステークホルダーの価値の最大化を図るという「ステークホルダー資本主義」へという方向性を、「ダボス会議」が打ち出した。ダボス会議というのは、世界の大企業のトップや政治家、研究者など数千人が集まる経済フォーラムだ。そのメンバーの多くが、株主資本主義強行の張本人であるにもかかわらず、こういったメッセージを出さざるを得ないほど、現状は酷いということだ。

 

 日本では、1万円札の顔が福沢諭吉から渋沢栄一に変わるのをきっかけに、渋沢が今年の大河ドラマになり、その経営理念が注目を集めている。

(福沢も渋沢も韓国では、大変嫌われているそうだ。福沢は「脱亜入欧」を唱えた差別主義者として。渋沢は明治後期日本が朝鮮で支配を強めていた当時、朝鮮の紙幣に顔を載せたことがあり、「朝鮮半島を経済侵奪した象徴的人物」と言われている。韓国人からすれば、渋沢がお札の顔になることは、日本で過去の植民地支配を肯定するナショナリズムが高揚するように映るのだろう。)

 渋沢は著書「論語と算盤」で、道徳と利益をバランスよく両立させて経済を発展させるべきだ、として、会社を「共同体」または「公共物」と位置づけ、「公益を追求するという使命や目的を達成するのに最も適した人材と資本を集め、事業を推進させる」べきだとした。今風の言葉で言えば、従業員とその家族、顧客まで含んだステークホルダーの価値の最大化を図るべきだと言っている。

 「何が何でも株主利益を」という株主資本主義とは大違いだ。

 

  日本的経営VS株主資本主義。論としては日本的経営の勝ちは間違いないが、実際、どうなっていくか。注目だ。