雨宮処凛の「世直し随想」
気が遠くなる現実
最近、外国人支援をしている人から、ある話を聞いた。
住まいを失い、公園で寝泊まりしている外国人男性の身に起きた悲劇だ。彼は公園で何者かに襲撃されたのだという。それを見ていた人が救急車を呼んで病院に運ばれたものの、頭蓋骨は陥没し、足もまひしている状態だったという。命に関わる重症だ。
だが、病院は、彼に在留資格がなく、「仮放免」という立場でホームレス状態であり、医療費が回収できないとわかると、あまりに残酷な対応に出た。応急処置をしただけで車に乗せ、彼がいた公園に連れて行って置き去りにしたのだ。
その話を聞いた時、信じられない思いでいっぱいだった。その彼は今、支援団体の助けを受け、治療を受けられていると聞いて胸をなで下ろした。が、あまりにも命が軽く扱われている現実に、気が遠くなる思いがした。
外国人だから、ホームレスだから、お金がないから、そんな扱いをされる。瀕死(ひんし)の重傷を負って医療につながっても、「お前なんか知らない」とばかりに放り出される。
こういう話が珍しくなくなったのは、いつからだろう。「命は大切」とか「誰もが平等」とか、そんな「建前」が裸足で逃げ出すようなむき出しの選別。
私はもう15年、困窮者支援の現場にいる。
そこにいる人たちは、総じて優しい。
だけどそこを一歩出たら世の中はまったく違う世界で、時々めまいがする。
どうしたら、「建前」を取り戻せるか、ずっと考えている。