下からの自己責任論


守屋真実

もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 


 Hさんは私が働いている放課後等デイサービスでアルバイトしている26歳の男性だ。学生時代には長期休暇中に来ていたが、就職してからも毎週土曜日に来てくれる。本職はIT技術者で、収入が少ないからではなく、障がいのある子どもたちと遊ぶのが楽しいから続けているという。頼まなくても毎週図書館で絵本や紙芝居を借りてきてくれる優しい人だ。そのHさんが近く会社を辞めて九州に移転するというので、その前に一緒に食事に行こうということになった。

 新しい仕事はこれまでとは全く違う職種で、手堅く収入の良い仕事にしがみつく若者が多い時代に、よく思い切ったものだと感心した。彼は海外も視野に入れて、若いうちにできるだけ多くのことを経験してみたいと言う。頼もしい青年だ。十年後にどこでどんな生活をしているのか、私にとっても楽しみだ。

 私の方は、4月に練馬で行なったフードバンクで受付を担当した際、『解雇されました!もう死んじゃおうかと思った!』と吐き出すように言った40代くらいの男性がいたことを話したのだが、これに対するHさんの反応は私を大いに震撼させた。

 「国が助けてくれるなんて思っちゃいけないんですよ。だから自分で何とかしなくちゃだめなんだ」と言う。Hさんにして、この反応か!これでは上からではなく、下からの自己責任論ではないか! 彼の年齢からすれば、政治や社会に関心を持ち始めたころからずっと自公政権で、国が弱者を助けないのが当たり前になってしまった世の中しか知らないのだろう。現代日本の若者の自己責任感覚は、私が思っている以上に深く植え付けられているのかもしれない。それは、違う社会があり得ることを示せない私たち中高年者の責任でもある。

 自分で努力しようという気概は持つべきだけれど、人生には個人の努力だけではどうにもならないことが起きる時もある。

どんなに賢く強い人でも、いつかは年を取って弱者になる。そもそも知的障がいを持って生まれてきた子どもたちの多くは、自分で努力できないのだ。社会学者の上野千鶴子さんが言うように「誰もが安心して弱者になれる世の中」であるために、憲法25条がある。国が国民を助けないのが常態ではなく、今の日本が異常なのだ。だから私は世の中を変えたいし、変えられると信じている。

 Hさんは静かに聞いてくれたけれど、どれだけ通じたかはわからない。それでも、東京を離れる前にもう一度会おうということになったから、私の話を不快には感じなかったのだろうと思う。Hさんの前途が順風満帆であることを願っているが、もしもつまづいた時には、彼のそばに助けてくれる誰かがいることを願う。そして私と話したことを思い出して欲しい。