北 健一 「経済ニュースの裏側」
黒田日銀総裁とアダム・スミス
日銀の黒田東彦総裁は、難しい用語で人をけむに巻く。
私たちが物価高に苦しむなか、日銀は何をすべきか。白真勲参議院議員は6月3日の国会で、そんな黒田総裁から生きた言葉を引き出そうと、質問を繰り出した。「最近買い物をした際、以前と比べて(食料品などの)価格が上がったと感じたか、実感をお聞かせ下さい」
すると黒田総裁は「基本的には(買い物は)家内がやっておりますので、直接買うことによって感じるというほどではありません」と答えた。
「金融緩和によって賃金の上昇しやすいマクロ経済環境を作り出すことが重要」とも強調したが、いくら異次元緩和を続けても実質賃金はいっこうに上がっていない。
思い出したのがスウェーデン出身のジャーナリスト、カトリーン・マルサルの著書『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』(河出書房新社)だ。
彼女は「難解な用語、あふれる威厳、立派な儀式、どこまでも深い謎。金融危機にいたる時期、経済学は専門家にしか扱えない領域だった」と書く。黒田氏の語りは、その典型だ。
原子力ムラの専門家に任せた揚げ句、深刻な原発事故が起きたように、金融ムラの専門家たちはリーマンショックを引き起こした。いったい何が、見落とされていたのか。
「我々が食事を手に入れられるのは、肉屋や酒屋やパン屋の善意のおかげではなく、彼らが自分の利益を考えるからである」。経済学の父アダム・スミスはそう説いた。
酒屋は自分の利益のために酒を売り、パン屋はパンを焼く。利己心を持った経済人の取引が市場を形成し、市場原理ですべてがうまく調整される――。スミスから黒田氏まで、市場原理の伝道師たちが説く物語は、ことの半面でしかないことをマルサルは軽妙な筆致で描き出す。
生涯独身の彼が食事にありつけたのは肉屋や酒屋の利己心だけのおかげではない。母親が食事を作ってくれたからだ。
「母親を視界から消した結果、アダム・スミスの思想から何か大事なものが抜け落ちてしまったのではないか」。マルサルの問いが心に響く。
買い物をし、料理をし、子育てや介護をする。小さいけれど大切な日々の営みを視界に入れ直すことから、多様な人々が共に生きていくための経済の形を考えていきたい。