斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

    哀悼と評価の区別を 稲盛和夫氏の場合

 

 企業経営者に必要な絶対条件を説くのに〃経営の神様〃こと稲盛和夫氏は、20世紀最悪の男の名前を出した。「ヒトラーなんかはまさに人たらし。演説をぶったら何万という群衆がワーッと声をあげて感動する。理屈を超えてついていくというんですから」

 氏を囲む若手経営者の会「盛和塾」での発言で、私が1997年に拙著「カルト資本主義」で公にした。

 その稲盛氏が8月24日、老衰で亡くなった。享年90。

 訃報が大きく、〈これほどの経営者は、もう現れないように思う〉(朝日新聞)などと伝えられたのは、自然の成り行きではある。なにしろ京セラとKDDIを創業し、日本航空の再建にも尽力した人物だ。事に臨んで「動機善なりや、私心なかりしか」と自問自答するという〃哲人〃ぶりも、繰り返し喧伝された。

 ただ、メディアが礼賛一色に終始したのが解せない。功績の反面で、重大な問題を抱えている人でもあったから。

〈表と裏がこんなに違う会社も珍しい。そして、稲盛和夫名誉会長自身もまた同様である〉

 京セラの元社員による告発本「京セラ 悪の経営術」(イースト・プレス、1999年)の一節だ。非人道的な労務管理、補助金などの不正請求、虚像を実像に見せかける手法などが活写されていた。

 私の「カルト資本主義」も、そうした実態を踏まえた上で、カルト教団にも酷似した稲盛式経営の危険性を論じたものだ。「表と裏がこんなに違う会社も珍しい」という表現は、そう言えば取材の過程で嫌と言うほど聞いていた。

 今年は、政財界のいわゆる大物たちが鬼籍に入った年として、記憶されるだろう。石原慎太郎、葛西敬之、ゴルバチョフ、安倍晋三…。生前の言動がどうあれ、亡くなれば偉人にしてしまうのが今時のメディアの流儀のようだが、どう考えてもおかしい。哀悼は哀悼、評価は評価と、区別されなければならない。