昭和サラリーマンの追憶 

              

      

 

           前田 功


  働きながら「夜間」で学ぶ

 

  数年前、東京都が、立川高校の定時制(夜間部)を廃止するという話があり、反対の署名をした。その後、同時に廃止されることになっていた2校は廃止されたが、立川と小山台高校とは廃止をされないで今に至っている。私の署名はたった1名分だか、そういう1名の積み上がりが廃止を阻止したのだと思っている。

 定時制の高校は、私たちの世代には、経済的理由から、昼間働かざるをえない勤労学生が学ぶところという認識がある。この20~30年は、ちょっと違ってきて、山田洋次監督の映画「学校」の夜間中学のように、貧困だけでなく、不登校など、いろいろな事情の人たち、それに外国人も通うようになっているようだ。  

 筆者の知人に、子どものころ学校に行くことができなくて、紆余曲折の末、焼き肉屋を経営、娘さんが店を見られるようになって、夜間中学に通っていた人がいる。彼女から話を聞いたとき、映画の夜間中学のイメージが重なった記憶がある。

 夜間高校には夕食の給食がある。温かい食事が安価で提供されているそうだ。(けしからんことに、その給食も廃止しようという動きがある。)

 昭和30年代から40年代初めのころ、損保は労働条件、つまり給与水準と労働時間が非常にいい業界だった。労働時間について言うと、当時、1日8時間、週48時間が法の定めた労働時間だったが、損保は、平日は9時から4時(または9時15分から4時15分)の勤務。1日6時間、土曜は半ドンで、週33時間。以前この欄でも書いたが、お日様が出ている時間が長い初夏のころは、仕事が終わってから海水浴に行く人もあったほどだった。

 4時に仕事が終わるので、高卒で入社して夜間の大学に行く人も多かった。

 なかには、中卒で入社し、夜間高校を経て夜間大学へと進んだ人もいる。(この人について、58歳の定年の時、「勤続43年」と聞いて、その長さに驚いたことがある。定年直前に取締役になり、その後数年、役員として勤務し、さらにその後、関連会社の社長などとして業界で長く働き続けた。)

  一億総中流と言われた時代だったが、当時の損保業界(少なくとも私がいた会社)は、経済的理由で進学が困難な層の若者が、学歴をつけ中流へ上昇していくうえで、大いに貢献していたと言える。当時もいろいろ格差と思われる事象もあっただろうが、損保業界は、這い上がろうと努力すれば報われる業界だったと言える。

 それは、労働組合が、健全に機能して、良い労働条件が守られていたからだ。その健全な組合が経営側から切り崩されていった過去が悔やまれる。

 

 早稲田大学に社会科学部というのがある。私のいた部署に、ここを出て入ってきた社員がいた。ここは夜間学部だった。彼は、昼間はいろいろなアルバイトをして、夜、大学へ行っていた。働きながら学ぶという面で、いい選択肢だ。しかし、彼が大学にいた後半は、昼間にも授業があるように変更になった。彼の話では、とりたい科目が昼間だとアルバイトに差しさわりがあったという。

 最近の話だが、早稲田は、社会科学部で夜間の授業をまったくなくし、昼間だけにしてしまったという。大学経営の効率を考えてのことだろうが、夜間大学の社会的役割を無視しており、天下の早稲田が情けない話だ。

 最近、リスキリング(re-skilling )という言葉が、経営者や政府サイドから言われている。直訳すると、「再びスキルをつける」だから、「学び直し」という意味なのだろう。社員に勉強させてITやDXの知識をつけさせて、それを経営に役立てようということのようだ。

 既存の従業員を、育つ余裕もないくらい搾れるだけ絞って、必要な人材がいなければ、ジョブ型雇用だなどと言って、外から採用すればいいんだとうそぶいていたが、うまくいくはずがない。外から採用しようにもきてくれる人がいない。やっとそれに気づき、社内に目を向けたが、社内にはいまや役にたつのがいない。内部の人間を使いつぶしてきた結果だ。それで、今度は社内の人間に勉強させて社内に不足している知識・能力をつけさせようというが「リスキリング」だ。いかにも付け焼刃的対症療法という感じがする。

 

 筆者が現役のころは、「人材育成」は経営の最重要課題であった。企業も本気でそれに取り組んでいた。ところがこの30年あまり、日本の多くの経営者は、働く人間を使いつぶして、育成ということを怠ってきた。いや、それ以上に、社員が学べる環境を、経営側は破壊してきた。人材育成には、ある程度以上の労働条件が必要なのだ。

 人は、時間的余裕、経済的余裕がなければ、勉強をする気持にはなれない。経営側や政府はそこがわかっていない。