「働く」はみんなのもの
シフト労働の闇(4)
解雇の衣替え
ジャーナリスト 竹信 三恵子
コロナ禍の中で、シフト制度は融通無碍(むげ)の人員削減策として威力を発揮してきた。その特徴は、「ハードな解雇」から「ソフトな労働時間減らし」への衣替えだ。
週3日のシフト勤務で働いてきた女性は、コロナ禍による経営不振を理由に、勤務を週1日に減らすと言われた。契約では3日は保障されるはずだ。契約書を読み直すと「閑散期と繁忙期はその限りではない」という条項が入っていた。
「いまはコロナによる閑散期。1日に減らしても契約書に違反していませんよね」。そんな会社側の甘いささやきが聞こえて来るような条項だ。
キャバクラで、午後8時から深夜の閉店時までの約束でシフト勤務していた女性は、コロナ禍で客が来ない日は午後10時で帰されるようになった。時給制で1日2時間労働では生活ができない。
生活できる仕事を求めて必死で探した飲食店もシフト制だった。客が減るにつれて週の労働時間が減らされ、かけもちパートをしたいと店に話すと、「閉店まで働けない人はシフトを入れない」と言われた。実際の労働時間は減っているのに閉店まで働ける人でないと働かせない、つまり、無償の待機時間を承認しろということだ。
そんななかで3カ月の契約期限が迫り、ある日いきなり「ロッカーを空けてくださいね」と言われた。「私、辞めたんだっけ?」と驚いた。
雇用には生存を維持する役割があり、解雇されたら雇用保険から失業給付が出る。そんな基本を、シフト制は淡雪のように溶かしていく。
手品のような人減らしのトリックに幻惑され続け、ある日「私、餓死していたんだっけ?」と驚く自分の姿が、ふと頭をよぎった。