守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


  今話題になっている映画「教育と愛国」を母と一緒に観に行った。

 教科書と教育現場で歴史の捏造や改ざんが行なわれ、良心的な教科書編集者や教師に圧力をかけ、皇国史観と押し付けの愛国心が復活しようとしていることに警鐘を鳴らす、たいへん優れたドキュメンタリー映画だった。多くの人に是非見てもらいたい作品だ。

 

 もう絶句!日本史学の権威とされる東大名誉教授が、『歴史から学ぶ必要はない』と真顔で言う。「ちゃんとした日本人とは」と尋ねられて、『左翼でない人』と平気で答える。道徳の教科書のパン屋さんを和菓子屋さんに変えれば愛国心が育つと考えるなんて、安っぽいジョークとしか思えない。パンケーキが好きな元首相にも、朝食はボタ餅にするよう進言するのだろうか。劣等感と自己顕示欲の権化のような政治家が、「美しい国」などと中身のない言葉で子どもや若者を騙そうとしている。こういう薄っぺらで低劣な愛国教育が、それでもじわじわと浸透しているのだと思うと本当に背筋が寒くなる。

 

 母は1931年生まれ。いわゆる満州事変の年だから、まさに生まれたら戦争だった世代だ。90歳を過ぎた今も平和のために署名を集めたり、カンパをしたり、新聞の意見広告に名前を出す人だが、戦争中はまったくの軍国少女だった。

 1945年6月30日深夜の熊本空襲では、3歳の妹を背負って焼夷弾の雨の中を逃げた。翌日早朝に疎開する予定で荷物をまとめ、荷車に積んで縄をかけてあったのが災いして何一つ持ち出せなかった。幸い家族は皆無事だったが、家は文字通り丸焼けになった。それでも日本が負けるとは思わなかった。祖父の実家の津奈木に疎開していた8月9日の昼前、有明海の向こうにピンクとオレンジ色のかぼちゃのような形の珍しい雲が立ち上がるのを見た。それが長崎に落とされた新型爆弾だったことを数日後に知ったのだが、それでも最後には神風が吹くと本当に信じていた。8月15日、大人たちが「もう空襲のないお盆がすごせる」と喜んでいるのを見て、大人はみんな非国民だと思った。悔しくて泣きたかったという。

 敗戦後天皇が全国を訪問したとき、母の通っていた女子高にも天皇が来ることになり、学校は慌てて新しいトイレを建てた。母はその時、「天皇陛下もお便所に行くのか」と思ったそうだ。今では笑い話だけれど、天皇は神様だから排泄もしないと本気で信じていたのだ。

 

 映画を見終わった後、母は「恐ろしいわね」と言っただけで、いつになく寡黙だった。母の胸中をどんな思いが去来していたのだろう。たぶん、その恐ろしさは言葉にできないほどだったのではないだろうか。ドイツで父親のように世話になったRは、ヒューマニストでユニセフやアムネスティを支援していた人だが、子どもの頃はヒトラー・ユーゲントに入っていた。当時はそれが当たり前で、何の疑問も持たなかったと言っていた。どれほどの後悔を胸に秘めていたのだろう。

 

 どこの国でも、人間は簡単に洗脳されてしまうものなのだ。それを防ぐには、人類の愚かで悲しい過去の所業を学び、同じ轍を踏まないことを胸に刻むしかない。

 ロシアのウクライナ侵略に便乗して軍備増強と壊憲が推し進められようとしている今日、なんとしても歴史を改ざんする勢力をくい止めなければならない。子どもたちに本当の歴史を伝え、そこから平和と民主主義を学ぶ機会を保障するのは大人の義務だ。次の参院選が未来の分かれ目になるかもしれない。今こそ民主勢力の底力を発揮しよう!

 後悔にさいなまれながら生きるのはいやだ!