「盛岡だより」
野中 康行
(日本エッセイストクラブ会員・日産火災出身)
《岩手の小説家》 三好 京三
私が氏と知り合ったのは、2002(平成15)年、第18回岩手日報文学賞・随筆部門で入賞した際の受賞式であった。そのとき氏は審査委員長だったが、文芸誌『北の文学』の編集委員長も務めていて、それにも誘われ、以後、亡くなる(2007年5月11日)までお付き合いをいただいた。
氏は、友人だったきだみのる(作家・社会学者)の娘(11歳)を養女に迎えた。父と放浪生活をしていたその娘は、学校にも通わず野性児のようであった。その成長過程を描いたのが小説『子育てごっこ』で、執筆も舞台も当時教師を勤めていた岩手県胆沢郡衣川村(現・奥州市衣川)の旧衣川小学校大森分校である。
2005(平成17)年11月11日、招かれて文芸誌『天気図』同人3人と三好邸を訪れた。京子夫人の手料理をごちそうになったあと、氏の案内で「大森分校」に行くことになった。
車2台で平泉から西の山中に入る。いくつかの峠を越えると視界が開け、小さな盆地が見えてくる。大森地区である。山腹の高台にある学校は、7年前に廃校になっていたが校舎はそのまま保存され、隣に「衣川ふるさと自然塾」が建てられていた。氏は「お~い」と管理人を呼び、分校舎のカギを受け取った。
歩きながら校庭を指差し、「あのあたり。ど真ん中に止まったのよ」と言った。きだみのると娘が車から降りてくる有名なシーンのことである。
……古くさい型の、そのくせ図体ばかりが大きい自動車が、校門の前の坂を登り切って、夕暮れの校庭に進路を変えた。校庭に入っても、車は不器用にのろのろしていた。そして、いままでの来訪者の誰もが止まったことのない、校庭の真ん中に停車した。
【『子育てごっこ』(文藝春秋社)より】
氏の案内で校舎のなかをめぐり、夫婦が暮らした宿直室まで来たとき「それが小便をしているときだったのよ」と笑いながら言った。『子育てごっこ』が第41回文学界新人賞に決まったとき、その知らせを受けたのがこの宿食室であった。
……やがてわたしは小用に立った。すると、廊下を慌ただしく京子が走ってきて、「石原慎太郎さんから電話です」と叫ぶ。「なに?」「石原慎太郎さんから電話」 石原さんは文学界新人賞の選考委員である。小水がぴたりと止まった。宿直室に走り帰ると、「石原慎太郎です」と、間違いなくテレビで聞く石原さんの声であった。
【『分校ものがたり』(本の森杜)より】
この作品は翌年の1976(昭和51)年に第76回直木賞を受賞した。校庭のすみに本人が揮毫した小さな記念碑があった。碑には「分校は、ひときわ目立つ高台にあった」と刻まれていた。
私が岩手の文学仲間と交流できるようになったのは、氏のおかげである。
【写真は、そのときの同人仲間と三好京三氏(中央)】