雨宮処凛の「世直し随想」

               カッコいい大人


 あと少しで参院選だ。

 この選挙を終えれば、向こう3年間、国政選挙はないという。このことに危機感を覚えている。

 が、盛り上がりがあるかと言えば、この原稿を書いている時点で恐ろしいほどに無風だ。「野党共闘」のもと、一丸となって与党と戦うぞ、という空気はまったくなく、私の周りではすでに「惨敗・諦めムード」が漂っている。そのことがまた歯がゆく、つらい。

 一方、さまざまな危機感を「選挙なんて興味ない」という友人・知人に伝えても、「面倒な人」扱いされるばかり。私の人間関係は「異様に選挙に詳しい層」と「まったく興味がない層」に二分されていて、その断絶の深さにも時々ビビる。

 思えば、私自身も若かりし日々は選挙に興味などなく、そっち系で力説する人がいたら「宗教」、もしくは「変な人」と切り捨てていた。選挙に行くようになる20代半ばまで、選挙をやっていること自体知らなかったし、投票所入場券が届いてもすぐ捨てていた。

 それが、なぜ行くようになったかと言えば、25歳で物書きになったことが大きい。それまでのフリーター時代とは違う人間関係ができて、新しく知り合った人々はみんな「選挙に行く人」だったのだ。若くても、チャラく見えても当たり前のように投票に行き、政治を語る大人たち。そんな姿がカッコ良く見えて、そうしたら途端に無知な自分が恥ずかしくなった。

 「カッコいい大人との出会い」が政治や選挙への扉を開けてくれた私は、幸運だったと思う。そんな大人に、私はなれているだろうか。時々、自問する。