スポーツの審判はアンパイアとレフェリー。その違いをご存知ですか?
玉木 正之
たまき・まさゆき スポーツ文化評論家,日本福祉大学客員教授。著書に『スポーツとは何か』(講談社現代新書)など多数。近刊は「真夏の甲子園はいらない 問題だらけの高校野球」(編・著、岩波ブックレット、2023年)
テニスの全仏オープン女子ダブルスで、加藤未唯選手がボールガールに返したつもりのボールが、彼女の後頭部を直撃。失格処分になる事件が起きた。ルールでは「結果を無視してボールを無闇に打つことは禁止」とあるので、この処分は(加藤選手には不運だったが)正当なものだった。
ここで注目したいのは、この処分を最初は審判が「警告」としながら、相手ペアの抗議で大会運営者(ディレクター)が登場。「失格」に変更されたことだ。テニスでは、審判の判定に選手が抗議する権利が認められているので、「判定変更」は問題がない。が、日本人に理解しづらかったのは、最初の判定を「アンパイア」が下し、後で「レフェリー」が変更したことだった。
日本語訳はどちらも「審判」で違いはないが、アンパイアは野球の「ストライク/ボール」「アウト/セーフ」やテニスの「イン/アウト」などを判定する「判定者」で、いないと試合が行えない。
一方、レフェリーは、サッカーやラグビーなどの球戯でゴールや反則を認定し、タッチラインを割ったボールの所有権を判断する人物。また、ボクシングやレスリングの勝者の決定や反則を指摘する人物のこと。球戯(ボールゲーム)も格闘技も、スポーツとして始まった当初は両チームの主将や闘っている当人、見物人が判断していたが、その判断が困難になり、レファー(仲裁)を請け負うレフェリー(仲裁人)に登場を願ったというわけだ。
判定者(アンパイア)も仲裁人(レフェリー)も、選手だけでは試合ができないので、選手が頼んで参加してもらった人物。だからアンパイアやレフェリーの判断に選手が従うのは当然。学校の体育では先生が審判を務める場合が多いが、先生の命令だから従うというわけではないのだ。