暇工作「生涯一課長の一分」


    ひま・こうさく 元損保社員・現在個人加盟労組アドバイザー        


      「融和路線」とよく言うわ

 

 連合の大会に岸田首相が出席し、芳野友子会長(写真) は2年任期の会長に再選された。連合と政権与党の蜜月関係はさらに深まっていく様相だ。

 連合は自民党との融和は、労働者の要求を政権の政策に反映させていくチャンスが増えると、熱心にその路線を推進する。だが政権与党と労組幹部が会話を深める「融和路線」で、労働者の要求を実現していこうと本気で考えているなら、それはあまりにもお人よしで、ノー天気な考えで、労働者が本来持っている闘う力を骨抜きにする身売り路線というべきだ。

 

 芳野友子さんが恥も外聞もなく、権力へ擦り寄る姿を見て、暇はかつて損保労働運動に第一次分裂攻撃が仕掛けられた時の、あるエピソードを想起する。分裂派の旗振り役O氏が、新労組委員長におさまると、すぐさま取った企画のことだ。O氏は、新労組の組合機関紙上で「労働組合委員長(つまり自分)と会社社長の対談」を大々的に写真付きで掲載したのである。組合機関紙のトップ記事に社長を登場させるなどという破廉恥な行動を行った労組が、果たして過去にあっただろうか。

 その対談なるものは、改めて互いが日本のトップと言われる大学出身であることを読者(組合員)に再徹底し、入試の難関をどう克服したかなどの自慢話を下敷きに、会社幹部や組合幹部は、極めて優れた人種がなるべき地位であることを強調するものだった。上から目線見え見えの不愉快な押し付け記事だった。この記事掲載は企業内における支配構造の完成宣言であり、額に汗して働く社員たちの苦労や要求に触れたり、応えるものでは、むろん、なかった。

 このことは、O氏など分裂派組合幹部の労組私物化の嚆矢でもあった。そこから、あけすけに労組を自己の利益のために活用することが始まったのである。O氏は組合を「卒業」後、用意された昇進コースに乗り、やがて副社長のポストを手にしている。(それでも、その見返りでは不十分だと本人は不満だったそうだが)他の幹部もそれぞれ昇進を果たしている。そして最も肝心な問題は、こうした「融和路線」が、社員たちの労働条件改善などには一切つながらず、まったく逆のベクトルを示したことである。「融和路線」などと、よく言うわ、である。

 

 芳野友子さんの出身産業や企業はどうだか知らないが、損保ではO氏のようなあけすけな自己利益のための組合利用は、それまでは、さすがに、あったとしても遠慮がちに、目立たぬように、だった。損保業界には恥の文化があったからだ。知性とモラルで自己を律することは損保人の矜持だった。だがそれも一度決壊すれば、後戻りは困難だ。

 労組幹部の堕落は、産業モラルの崩壊と通底する。それは、その後、怪しげな商品販売、中小損保つぶし、合併再編、社員、代理店への支配強化、最近のビッグ・モーター事件まで、損保業界の歴史を辿ればあきらかだ。労組幹部としての人格崩壊は、労組だけではなく、その産業、そして国のありようにまで及ぶということを暇は決して忘れまい。