斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

    遺骨含む土砂を使う外道


 さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。


 沖縄県名護市での米軍辺野古新基地建設に、日本政府は沖縄戦の激戦地だった沖縄本島南部の土砂を使う方針だ。犠牲者らの遺骨が混じっている可能性が高い。米国との戦争で殺された人々が、他ならぬ祖国によって、しかもその米国の新しい戦争のための礎(いしずえ)にされようとしている。

 10月21日には糸満市の平和祈念公園で、反対する県民集会も開かれた。「〃新たな戦前〃が迫っている。先人たちが見たらどう思うだろうか」とあいさつしたのは「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」の稲嶺進共同代表だ。

 折しも政府は、当該地の軟弱地盤改良工事に関する設計変更を認めない玉城デニー知事を制し、強権で工事を承認する「代執行」を強行する構え。魂に対する冒涜(ぼうとく)であり、人の道に外れた暴力だと断じざるを得ない。

 情緒的だ、宗教的だと冷笑しては悦に入りたがる人々が、この社会にはゴマンといる。〃国益〃より感情を優先する人、合理的に物事を考えられない人は頭が悪い、などと。実際、冷笑主義(シニシズム)の象徴としか言いようのない人物が、子どもたちの憧れの対象になっている現実さえあると聞く。

 世の中はつくづく堕(お)ちた。こんな状況が続くようなら、今度こそおしまいではないのか。

 なぜなら、辺野古での振る舞いは、政府が国民を道具としてしか――否、米国への貢ぎ物としてしか見なしていない証拠を、満天下にさらけ出すことであるから。何が〃国益〃であるものか、為政者たちの言動の何もかもは、己の保身を目的に、宗主国としての米国の、そのまた立場を利用した役得を謳歌(おうか)しているチンピラどもにシッポを振っているのに過ぎないのだぞと、大声で白状することだからである。

 これ以上の蛮行を許してはならない。私たち日本国民の人間性が問われている。