暇工作「生涯一課長の一分」
ひま・こうさく 元損保社員・現在個人加盟労組アドバイザー
A氏へ送る言葉
暇宛に「A氏お別れの会」の案内状が届いた。「A氏」とは、かつて暇たちと対立していた多数派労組の委員長、そしてその後社長を極めた男のことである。
彼は、多数派労組委員長の任にあった時代、暇たち少数派労組が、門前ビラ配布行動をめぐって、それを妨害しようとする会社と争っているさい、「少数派労組による、一定の広報活動は認めなければなるまい」という趣旨の見解を述べたことがある。会社と擦り合わせの上での、策を含んだ発言であったとしても、それはそれで立派な見識だったというべきだ。
しかし、暇たちが、企業の門前で行うビラ入れ行動の「権利」を確立したのは、彼のサポート発言があったからではない。何年にもわたる、たゆまぬ主体的な行動と、陰に陽にそれを支持する職場の声、雰囲気が会社側を大きく包囲していたからだ。彼はそんな社内の変化・背景を目ざとく見抜く「先見の明」を持っていたに過ぎない。
彼の見解表明は、彼個人の「リベラル性」に根差すものでもなかった。彼は、多数派労組委員長時代に、暇を訪ねてきて、「暇さんたちの少数派労組と共産党はイコールですか?」と禁じ手の質問をするくらいの時代錯誤的感覚の持ち主でもあったのだ。
A氏の訃報と「送る会」への案内状は、企業内少数派労組で、企業内の全従業員向けにビラを撒くという行動をとっているところが極めて少ないという現状を憂う暇に、改めて問題意識を喚起してくれたのである。
たしかに、ビラ宣伝に対する企業側の妨害態勢は強固だ。施設管理権が盾とされているケースも多い。少数派組合員がいない(いても少数)職場なのだから、従業員全体にビラ配布など必要ないだろ、ともいう会社側からの理屈も投げかけられ、それに有効に反論できていないケースもある。企業内の問題は、多数派・少数派別の存在するものではなく、全従業員に共通するのだから、どの労組にも、すべての従業員に知らせ、見解を投げかける権利がある、言論の自由がある。そういう具合に押し返せない主体的力量も含めて、ビラ入れ=宣伝活動は、自らの努力で味方を増やしながら闘い取るものだという覚悟に欠けているのではないか。
「A氏お別れの会」からの案内状。彼が在職中の社員全員が対象らしいので、暇に届いたことに特別な意味は込められていないが、その案内状が、暇にとっては、少数派労組の宣伝広報活動について改めて、ここに述べる機会を与えてくれたという「特別な意味」があった。それが、A氏に対する暇の「送る言葉」である。