「盛岡だより」(2023.12)
野中 康行
(日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)
十戒
アメリカ映画『十戒』(1956年制作)を観たのは私が高校2年生、1959(昭和34)年4月のことである。
旧約聖書『出エジプト記』を元にしてつくられた映画だが、その時はそれを知らず、ただ「史上最大のスペクタクル映画」とか「超大作」という宣伝文句にひかれて観に行った。
ヘブライ人がエジプトの奴隷にされていた紀元前。ヘブライ人として生まれたモーゼが、「汝、ヘブライ人をエジプトより導き出せ」と神の啓示を受ける。予言者となったモーゼは、ヘブライ人の大群を引き連れてエジプトを脱出、カナンの地(パレスチナ)に向かう。紅海までたどり着いたとき、エジプト軍の追っ手が迫る。モーゼが杖を振ると海が割れて道が現われる。印象に残るシーンである。
ヘブライ人とは、ユダヤ教を信じるユダヤ人のことで、自らはイスラエル人と称していた。彼らは、自分たちは神に選ばれた民族であり、モーゼに引きつられて来たパレスチナの地は、神から与えられた土地だと信じている。
イスラエルは、建国(1948年)の際、この国は「ユダヤ人国家」と宣言した。そのため、そこに住んでいたイスラム教を信じる多くのアラブ人が排斥され、「自治区」に隔離されるようになった。このアラブ人の「差別政策」は、アラブ諸国の反発を招き、それが端緒となって4次にわたる中東戦争が勃発している。「全世界から同情されて滅亡するより、全世界を敵にまわしても戦って生き残る」を「国是」とするイスラエルが、軍事大国になったのは当然の帰結であろう。
今年の10月7日、パレスチナ自治区ガザ地区からイスラエルにロケット弾が打ち込まれた。イスラエル軍は、ガザ地区を実効支配する武装勢力「ハマス」の仕業で、国家の存亡にかかわる攻撃だとして掃討作戦に乗り出した。
ガザ地区は365平方キロで、そこに222万人が住んでいる。山地で人の住めない土地もあり、人口密度が1平方キロあたり3万人を超える場所もある。人口密度が日本一高い東京都豊島区の2万3500人と比べてもその過密ぶりがよく分かる。
逃げ惑う民間人への攻撃は国際法違反だとして国際社会の非難をあびているが、イスラエルは、国連の停戦要請にも耳をかさない。
事態を複雑にしているのは、2000年も国を持てなかったユダヤ人の民族自決権の問題、キリスト教とユダヤ教との軋轢、イスラエル建国にかかわった大国間の思惑など、さまざまな歴史的要因が絡みあっているからだ。だとしても、イスラエルの「防衛」はすでに度を超している。イスラエルの強行姿勢に、自国からすべてのアラブ人を排除する「民族浄化」の衝動にかられているようにさえ思える。
映画には、モーゼがシナイ山で「十戒」を授かるシーンがある。山頂の岩に神の閃光が戒律を刻む。「汝、父母を敬え」「汝、盗むなかれ」「汝、嘘をつくなかれ」と。その何番目かの戒めは「汝、殺すなかれ」であったはずだ。