守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


 不愉快な体験

 

 昨年12月16日、首相官邸前で毎週行っている辺野古埋め立て抗議スタンディングが丸4周年を迎えた。この日はかなり冷え込んだので、参加者は常連の6人だけかと思っていたが、不定期参加の仲間たちが三々五々集まってくれて思いがけず16人になった。

 こんな活動を四年も続けなければならないのは悲しいことだが、やはり節目には感慨深いものがある。突然のゲリラ豪雨にポンチョを着る間もなくずぶ濡れになったこともあった。一人が熱中症になりかけて座り込んでしまったこともあった。警官に付きまとわれたこともあったし、右翼の嫌がらせもあった。通りの向こうから手を振ってくれる人や飛び入りで一緒に歌ってくれる人たちに励まされ、文字通り風雪に晒されての草の根運動だ。喜怒哀楽を共にした者同士の信頼と結束は、やはりネットやSNSの結びつきよりも固いと思う。こういう仲間との活動は、暑くても寒くてもやはり楽しい。

 

 と、新年らしく明るいことを書こうと思っていたのだが、極めて不愉快な体験をしたのでそれを伝えようと思う。

 これを書いている今日(2022年12月19日)は、年内最後の総がかり行動だった。コロナ第8波と寒さの中、それでも1100人が参加した。共産党の山添拓さん、社民党の福島みずほさん、沖縄から山城博治さんの電話スピーチの他、実行委員会からも軍拡・増税を止めようと力強いアピールがあった。

 閉会も近づいたころ、私たちが立っていた参議院議員会館の向かい側に菊の紋章を書いた白いワゴン車が止まった。『あれ、右翼じゃない』、『何しに来たんだろう』、『あ、降りてきたよ』などと話しているのに警察はちっとも来ない。安倍元首相の殺害事件があったのに、ずいぶん悠長な警備だ。それとも市民を守ろうとは思っていないのだろうか。腕に日の丸のついた迷彩の戦闘服のような出で立ちの男が4・5人道路を渡り始めて、ようやく若い警官が一人大慌てで走って来た。戦闘服の男たちは中央ステージに近づこうとして機動隊ともみ合いになった。行く手を阻まれた男たちは諦めて、私たちが並んでいる永田町駅に向かって歩き始めた。「来るぞ!」と思った。

 案の定、私たちのグループが標的にされた。「沖縄を再び戦場にするな!」というプラカードを持っていた女性に目を付けて、予想通り口汚く沖縄を差別する言葉を吐いた。その時にはもうたくさんの機動隊員が男たちを取り巻いていたが、送り出しの歌を歌っている私たちにメガフォンを向け野蛮で下品な大声で怒鳴り始め、気の弱い人は怯えて後ろを向いてしまうほどだった。警官が私たちに向かって「やめてください」と言ったら、辺野古抗議スタンディングの発起人T子さんが『やめなきゃいけないのはむこうでしょ!』と言い返してくれた。T子さんは沖縄の不屈の精神を具現したような人だ。小さな体のどこにあれだけの勇気とエネルギーが潜んでいるのかと、いつも驚嘆している。それで言葉による応戦は彼女に任せて、私は歌い続けた。

 

  光は闇に負けない 真は嘘に負けない

  真実は沈まない  決してあきらめはしない*

 

 自分でも意外なくらい冷静でいられた。途中、脱原発の仲間が数人列に加わってくれたのに気づいた。右翼は腕を伸ばせば届くほどの距離で私たちに向かって「ウジ虫」とか「ブタ」とか罵声を浴びせていたけれど、あまりに貧しいボキャブラリーに腹も立たなかった。その程度の連中なのだ。思想も論理もない。恫喝すれば私たちが怖気づくと思っているなら大間違いだ。こういう経験を共にすることで、私たちの連帯は一層強まるのだから。右翼と機動隊が押し合っているのをよそ眼に、いつも通り最後の参加者を見送って散会した。

 

 大軍拡が企てられる今、このような妨害がきっと増えるだろう。もっとひどい暴力もあるかもしれない。でも、絶対にやめない。やめるわけにはいかない。怖くないわけではないけれど、怯んでたまるか!仲間を信じて闘い続けよう!

 力の強い者、声の大きいものが制する社会は戦争へと続く。断じて許してはならない。

 

*「真実は沈まない」:韓国のキャンドル革命のテーマソング。総がかり行動の日は、迎え入れと送り出しに毎回この歌を歌っている。