「働く」はみんなのもの
ジャーナリスト 竹信 三恵子
たけのぶ みえこ 朝日新聞社学芸部次長、編集委員兼論説委員などを経て和光大学名誉教授、ジャーナリスト。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)など多数。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。
家事労働とケア労働(4)
「家計補助」論の魔力
意外と気づかれていないが、「賃上げ」と家事・ケア労働は密接に関わっている。これらは女性が夫の稼ぎに支えられながら家庭内で行う無償の労働、と考えられがちだ。そうした社会の固定観念が、「最強の賃下げ装置」となるからだ。
賃金は、働く側からの賃上げ圧力がなければ、基本的には上がらない。ところが、女性は育児や家事というただ働きで生きていけるという思い込みは、女性は低賃金でも無給でも困らない、という錯覚をもたらす。それが、賃上げ圧力を大幅に減らす。
そんな錯覚をフル活用したのが、男女賃金差別裁判やパートの労使交渉で頻出する「家計補助論」だ。
大手外食会社「フジオフードサービス」でシフト労働者として働き、コロナ禍で休業手当を大幅に値切られたパート女性が起こした裁判でも、会社側は、パートは家計補助だから家計を支える正社員とは違う、という「家計補助論」を堂々と主張している。
同様の主張は、メトロコマース訴訟でも登場した。
正社員は残業が当たり前という意味不明の定義が、これに拍車をかける。背後には正社員は家事や育児をしない人(妻がいる男性)という勝手な前提がある。
実際は長時間働いていたりする単身女性も、このカテゴリーにぶち込めば、世間からの賃上げ圧力は大幅に減る。まして、家事や育児があって長時間働きにくい女性は、自ら「長時間働けない自分が悪い」と声を飲んでしまう。
あれ? 例外や抜け穴だらけではあるが、日本でも「8時間労働」は原則じゃなかったっけ?
パートは店の8、9割を占めることも多い。そんな基幹労働力でも経済的自立ができない賃下げ社会が、こうして簡単に作り出される。家計補助論の魔力だ。