斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

    建築物にも侵食する新自由主義

 


 さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。


 

 自宅の近所に新しいアパートが建った。ベランダがないのに驚いた。旧知の不動産業者に尋ねたら、近頃はこの方が普通なのだという。アパートに限らず、ベランダのない一戸建ても珍しくなくなったそうである。

 衣類乾燥機や部屋干しが一般化したため、とされている。背景には独り暮らしの未婚世帯や共稼ぎ家庭の増加など。どうせ日当たりも風通しも悪いし、植木鉢やプランターも置かないのだから、という考え方もあるようだ。

 メリツトはいろいろだ。建築費を抑えられる。入居者にとっては(1)家賃が安い(2)掃除の手間が省ける(3)防犯上の安心感、といったところか。

 雨だと窓を開けられないとか、布団やシーツはどうやって干すのか等々の課題は残る。だが従来の生活習慣に拘らず、割り切ってしまえさえすれば、デメリットと呼べる要素は多くなさそうだ。いや、近年はむしろ、ベランダなどない方がスタイリッシュでカッコいい、と感じる人も少数派ではなくなってきた由。

 もともとは雪深い、冬場に洗濯物を外で干すことなど考えられない北海道や、東北地方で広まったのが始まりらしい。そう言えば、英国や韓国のマンションにも、ベランダやバルコニーはついていなかった。まるでオフィスビルででもあるみたいに。

 これも時代の流れなのだろう。文句をつける気はない。でも、なんだか寂しい。物悲しくもある。

 ある書物の一節を連想した。「いま東アジアでは、長年続いてきた家族文化が強烈な仕事文化によって破壊されつつあるようにみえる」。米国の環境・都市計画の専門家ジョエル・コトキンの『新しい封建制がやってくる』(寺下滝郎訳、東洋経済新報社、2023年)。

 ベランダのないアパートや一戸建ての急増は、何もかもが新自由主義イデオロギーに絡め取られていく社会の表象ではないのか。