「正社員」の謎(8)

     

                        竹信 三恵子


 たけのぶ みえこ  朝日新聞社学芸部次長、編集委員兼論説委員などを経て和光大学名誉教授、ジャーナリスト。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)など多数。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。


 「メンバーシップ型」論の功罪

 

 「日本の正社員はメンバーシップ型雇用」。そんな言葉が流布するようになって久しい。ネットなどでは、「職務に応じて雇用するジョブ型雇用」に対し、終身雇用を前提とし、業務内容や勤務地などを限定せずに雇用契約を結ぶことを「メンバーシップ型雇用」と説明している。

 この言葉が当たり前のように使われ始めるにつれ、言葉にしにくい違和感を抱くようになった。

 確かに、いまの日本の大手企業では、職務にこだわらず「ジェネラリスト」としてどんな仕事でも引き受け、どこにでも異動させられることが暗黙の前提と言われる。職務より会社の一員としての面に重きを置くという意味で「メンバーシップ」という表現は言いえて妙だ。

 だが、そこには怖さもある。日本の会社で働きたいなら会社の言うことは無限定に聞けと思わせ、労働者としての権利を抑え込む効果がちらつくからだ。

 かつて私は、新聞記者になりたくて新聞社に就職した。「記者採用」なのだが、記者ではない部署に異動させられる場合もあり、そうならないよう上司に気を遣う同僚もいた。また、異動が恒常化し、これでは働く母は働き続けられないとも思った。

 ドイツに取材に行ったとき、高位の役職者でなければ基本的に異動の義務はなく、住んでいる場所で働くことは労働者の権利、と言われ、納得した。

 日本では「メンバー」とされない非正規は異動がないとされる。だが、それは生活を不安定化させる有期雇用と引き換えだ。

 そんな慣行が「メンバーシップ型だから」の名の下に当然視されていいのか。日本の正社員論につきまとう「現状についての比喩が規範に転化する危うさ」には警戒が必要だ。