真山 民「現代損保考」

       しん・さんみん 元損保社員。保険をキーに経済・IT等をレポート。


                   宇宙保険と損保     

    

  界の科学者の注目を集めた嫦娥6号写真=NHKテレビより)

 

 6月25日、中国国家航天局(CNSA)が「無人月面探査機嫦娥6号が月の裏側に着陸、貴重な岩石や土を持ち帰り、この地域の調査としては世界初となるミッションを果たした」と発表した(中国は既に2019年に月の裏側への着陸に成功している)。

 嫦娥6号の成功について、惑星科学が専門の東京大学大学院の宮本英昭教授は次のように高く評価している。

 「月の表と裏ではクレーターの数など様相が大きく違う。裏側は地球との通信環境が悪く探査のハードルが高かった。今回着陸したとされる場所は月で最も古く大きいクレーターとされ、月の進化の謎に迫るデータが得られる可能性が高い。月の裏側のサンプルはこれまで誰も見たことがなく、人類の英知でもあり、世界の科学者の期待が集まっている」(NHK・NEWS・WEB 6月25日)。

 

 アメリカは有人月面探査を再開 日本人の月着陸も

 

 軍事・AI・先端医療など、あらゆる分野で中国と覇権を争うアメリカは2017年に、トランプ政権が有人月面探査を行う「アルテミス計画」を再開した。中国の「嫦娥」が仙女になって月に昇ったという中国の伝説上の女性なら、「アルテミス」はギリシャ神話に登場する月の女神で、太陽の神アポロンの双子の兄妹というわけだ。

 アルミテス計画では、ISS(国際宇宙ステーション)の運用と同じように、アメリカが中心となり、いくつもの国が協力してスペースシャトル(宇宙船)や宇宙ステーションなどを開発、運用する予定である。

 宇宙飛行士については、まず26年に男女2人の米国人宇宙飛行士が月に着陸し、28年からは年1回のペースで定期的に月に宇宙飛行士を送る。28年以降になるが、初の日本人宇宙飛行士2人が新型飛行船「オリオン」に搭乗して月面着陸を目指すことが日米両政府間で合意された。

 この合意には、次のような背景がある。一つは、宇宙開発も着実に進めている中国に対する日米による対抗という意味、もう一つは2031年の打ち上げが予定されているトヨタ自動車、三菱重工業が開発する月面探査車「ルナ・クルーザー」がNASAなどアメリカ側に評価され、日本人飛行士の「オリオン」搭乗が容認されたということだ(朝日新聞7月18日)。ルナ・クルーザーは、車内の気圧を調整することで、宇宙服を着用せずに乗り込んで生活できる月の「キャンピングカー」としての機能を備える優れものだ。

 

 アルテミス計画の狙い

 

 とは言え日本人の月面着陸を含むアルテミス計画への参加には膨大なカネがかかる。文部科学省によると、ローバー(惑星探査車)の開発費用だけで数千億円になる。なぜこれほどまでにして月面探査にこだわるのか?人類の飽くなき探求心と言えばそれまでだが、月には水や鉱物などの資源が存在し、それが各国を月に駆り立てている理由の一つでもある。水は月の北極や南極に氷の状態で存在するとされており、電気分解して水素と酸素を取り出すことで、ロケットの燃料などに使えるし、月自体を火星などより遠い天体へ向かう補給基地として活用する。アルテミス計画では2026年に米国人が月に降り立つ計画を立てている。 

 

 1兆ドルの宇宙産業市場を見込んだ宇宙保険

 

以上のような各国による月探査、あるいは宇宙開発に損害保険はどう関わろうとしているのか。そのことに触れる前提として、いまや政府だけが宇宙探査に携わっていた時代は終わったということを踏まえておく必要がある。アメリカではここ10年、イーロン・マスク氏率いる米スペースXなどの民間企業が打ち上げ費用を劇的に引き下げ、活動を大幅に活発化させている。

 モルガン・スタンレー社は、世界の宇宙産業市場は2040年に1兆ドル規模に成長すると予測している。日本でも内閣府が2017年、当時約1.2兆円ほどの国内市場を30年代早期に倍増させるという目標も打ち出した。これに乗じて日本でも宇宙開発のスタートアップ企業やベンチャー企業が次々誕生している。東京海上、三井住友海上は月面探査など宇宙での事業展開を目指す企業などと連携しながらリスク分析などのノウハウを蓄積し、将来の宇宙旅行時代に備えている。

 昨年11月、東京海上日動と宇宙航空研究開発機構(JAXA)が宇宙関連事業の創出を目指し、「宇宙リスクソリューション事業」に関する共創活動を開始。大手・スタートアップを問わず、多くの事業者の宇宙産業への参入と事業継続に向けた安心安全な環境づくり、宇宙でのリスクの網羅的な把握、問題提起から改善提案まで一貫したソリューションにより、サステナブル(持続的)な宇宙開発の実現に貢献すると発表した。

 東京海上日動はすでに2022年、月面の無人探査を目指す宇宙ベンチャー、ダイモンのプロジェクトを支援するため、英保険会社ビーズリーと月保険を共同で開発し、契約を結んでいる。

 三井住友海上は宇宙ベンチャー、アイスペース社の月面探査計画「ハクトR」に対して「月保険」」を開発。「ハクトR」1機目は昨年4月、着陸を目前に月面に激突して失敗。2機目を12月にも打ち上げると発表した。

 

 「大数の法則」がない宇宙保険

 

 こうしたメガ損保の動きには、自動車保険の頭打ち、火災保険などの異常気象の豪雨台風災害による収支悪化を、新しい保険でカバーしたいという思惑がある。しかし、宇宙開発に伴うリスクをカバーする宇宙保険には、火災保険や自動車保険のような大量の契約や支払いに関するデータによる「大数の法則」があるわけではない。宇宙保険はまだ実績が少ないためオーダーメードとなり、1件でも事故が起きてしまうと億円単位の多額の保険金が発生する可能性がある。海外では、収益性が見込めないことやボラティリティー(株式や債券など、金融商品の価格変動の大きさを示す言葉)に対する懸念があるとして、宇宙保険からすでに撤退した保険会社もある(日経2023年7月20日)。

 その点を東京海上や三井住友海上はどう捉えているのか、明確に契約者に説明する必要がある。「宇宙産業への貢献」に、「高リスク」が避けられないとすれば、結果として、多くの契約者から集めた保険料が犠牲になることがあり得る。「国民のための損保」であるならば、そうした民意無視の独断・独裁は許されないはずである。