斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」
プラットフォーム企業に相応の罰を
さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。
東京都練馬区の住宅に5人組の男らが押し入り、親子2人にケガを負わせて、金品を強奪する事件が起きた。9月28日未明のことである。
犯行グループのうち2人は、被害者が頭から血を流しながら取り押さえたとかで、間もなく逮捕された。警視庁は残る3人の行方を追っており、この間に都内国分寺市で発生した同種の強盗傷害事件との関連も捜査中、というのが本稿執筆時点での最新情報だが、楽観は許されない。
この練馬の事件、またぞろSNSで集められた「闇バイト」によるものらしいからだ。もともと知らぬ者同士の犯行だったのであれば、イモヅル式の逮捕、というわけにはいかない可能性もある。
それにしても――。
犯人どもが厳罰に処されるべきなのは当然だし、そういうことにはなるのだろう。ただ、それだけで済まされてよい問題だろうか。
違う。SNSを管理している企業、いわゆるプラットフォームにも、相応の処罰が与えられなければならないはずだ。
DX(デジタル・トランスフォーメーション)とやらのただ中で、彼らは今や、人々が懸命に生み出した富の上前をハネまくり、空前の高収益を謳歌(おうか)している。だけでなく、ほとんど全能の支配者然と振る舞うことに躊躇(ちゅうちょ)がない。
誰もが自分の考えを公にできる機能にメリットがないとは言わない。とはいえ、弊害が大きすぎる。
にわか凶悪犯罪組織の募集に限らない。子どもたちのいじめ、社会の隅々に浸透した誹謗中傷、投資詐欺、政府や巨大企業による情報操作…。人間には百万年も早かった。
異様な段階に進んでしまったテクノロジーと、何のかのと言ってもプロの編集者らの職業倫理がまだ生きているマスメディアの世界とは、似て非なるものである。言論・表現の自由とは別次元の問題だと知るべきだ。