「盛岡だより」(2024.3)
野中 康行
(日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)
桃の花
弥生3月。草木がいよいよ生い茂る月で、3日は「桃の節句」ひな祭りである。桃の北限は北海道まで延びているようだが、岩手ではあまり見かけない。
もう40年以上も前になる。新幹線で東京に向かう途中、福島あたりで山に続く丘陵がピンク色に染まる光景を車窓から見たことがある。「えっ、サクラら?」と思ったが桃の花だった。幻想的な光景に心が温まり幸せな気分になったことを今でも覚えている。桃の開花はサクラとほぼ同じだが、サクラより少し早い。
桃は仙人の果実であった。それは、中国の漢の武帝に、天下った西王母(長寿を司る神)が不老長寿のために桃7個を贈ったという故事に由来する。その西王母の誕生日が3月3日で、この日に桃花餅・桃花酒・白酒を用い、曲水宴の行事を行うようになった。これが、「桃の節句」の始まりである。この行事が「ひな祭り」のようになったのは寛永年間(1624~1644年)のころである。
中国の晋の時代、太元年中武陵の猟師が桃林に迷い込み、山の小さな入り口から中に入ると、俗世と離れて暮らす村があった。そこは、平和で豊かな別天地で「桃源郷」という幻夢の世界であった。中国の小説『西遊記』に出てくる仙人も「桃の園」に住む。
日本人と桃との関わりも古い。日本書紀には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、死者の世界である黄泉から脱出する際、追ってくる魔物に3つの桃を投げつけて追い払ったというくだりがある。そこから、桃には邪気を払う霊力があるとされ、神社に祀られるようにもなった。
霊力のある桃は、後年、桃太郎伝説を生む。「悪は去る」「病は居ぬ」「災は来じ」の思いからお供はサルとイヌとキジとなる。これが、江戸時代になって「節分の豆まき」につながっていく。
サクラの花は和歌に多く詠まれるが、桃は俳句に詠まれることが多い。
桜より 桃にしたしき 小家かな(与謝蕪村)
桃の花は豪華な屋敷に咲くサクラより貧しい小さな家の庭先に咲くのが絵になる。そう詠むのは、やはり画人の目だ。
ほうほうと声あげて桃花ひらく(大井雅人)
花が一斉に咲くさまを、まるで「ほうほう」と声をあげているようだと詠むが、声をあげているのは作者のほうでもある。
野に出れば 人みなやさし 桃の花 (高野素十)
暖かい日差しに咲く桃の花は、のどかで優しい雰囲気を醸し出す。野に出ている全ての人も優しくなる。
今年の3月3日は旧暦では1月23日、季節はまだ冬だ。新暦の4月10日が旧暦のその日にあたり、そのころなら咲いている。
桃の生産量第1位が山梨県、次に福島県、長野県と続く。里の桃畑が桃色に染まるその眺めは、別天地「桃源郷」のように見えるはずである。