斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

       嗜好品が排斥される社会


 さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。


 最近、自宅の周りにたばこの吸い殻が捨てられていることが増えてきた。私を狙った嫌がらせかとも思ったが、ご近所も同様の状況だから、そういう話ではないらしい。

 ふと連想したのは、近年の、従来以上に強烈になったたばこ嫌悪の趨勢(すうせい)だ。横浜の公園は全面禁煙となり、岐阜市では敷地内で喫煙した職員が通報されて懲戒処分を受けた。

 大阪市は万博開催の2025 年1月から市内全域で路上喫煙禁止に踏み切る。代わりに急がれることになった公設喫煙所の整備は進んでいない。言うまでもなく、20年五輪の招致が決定されて以降の東京都の禁煙熱ときたら、すさまじすぎるものだった。

 全国的には、22年施行の改正健康増進法が一大転機になった。今や公共施設や飲食店、オフィス、交通機関など、人の多く集まる場所はことごとく禁煙。要は社会のほとんど全域から締め出された喫煙者が、他人の目の届きにくい民家の周辺で吸いまくってポイ捨て、の構図なのだろう。

 面倒も矛盾もそこらへんの雑民どもに押しつけとけば済むという、政治や行政のしたり顔が浮かぶ。真犯人は誰なんだ。またかよ、こんなことでもかよと、絶叫したくなる。

 私自身は昔からたばこを吸わない。だからこの手のムーブメントは直接には関係がない、はずなのだが――。

 法律で認められた嗜好(しこう)品を楽しむ者が排斥されてしまう社会は、そもそも健全なのか。市民同士の対立をあおるより先に、戦争でも階層間格差の拡大でも、食い止めるべきものが他にいくらでもあるではないか。

 毎朝、郵便受けに放り込まれている新聞を取りに玄関を出るたび、私は言い知れぬ不安に襲われる。人々の憤まんが手近な人間にばかり向くような仕掛けが、どんどん創られていく。民主主義社会における「自由」のありようが、いつの間にか、一方的に変えられていこうとしている。