斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

   新たな女性搾取の創出招く現実


 さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。


 

 少子高齢化の問題が加速度的に深刻さを増している。昨年の合計特殊出生率(1人の女性が一生のうちに産む子どもの数の指標)は1・20で過去最低を更新。日本人の人口は15年連続で減少を続けており、回復の兆しもない。

 とはいえ話がデカすぎて、実はピンと来ていないのは、ひとり筆者だけではないはずだ。政府や自治体も、しょせんは子育て支援ぐらいしか対策の採りようもないのが実情ではないか。

 未来が見えない。だけでなく、眼前の「人手不足」も少子高齢化に構造的な原因があるらしい。減る一方の働き手と、他人の労働力を頼ることの多い高齢者の増加。甚だしい需給ギャップが、「待遇の改善で人手不足は解消する」という常識を覆しつあるという(古屋星斗+リクルートワークス研究所『「働き手不足1100万人」の衝撃』(プレジデント社、2024年)。

 社会そのものが回らなくなりかねないとすれば、大勢の移民を受け入れる局面が生じるかもしれないが、それはそれで別の問題を孕み得る。また、少子化で日本に先行する台湾や韓国の事例も合わせ、結婚を出産の前提に置く東アジアの伝統的価値観を批判する議論も、最近は勢いを増してきた。婚外子の多い欧米を見習え、というわけだ。

 あるいは、いわゆる生殖医療、なかんずく代理出産の自由化を少子化対策の切り札に位置づけようとする議論が浮上してくる可能性なしとしない。国家存続のためなら生命倫理などクソ食らえ、というロジックに対抗できる理論武装が必要になる。代理出産ビジネスが横行すれば、新たな女性搾取の構造が創出されかねない現実も、強調しておかねばならない。

 考えれば考えるほど、このテーマは社会のあらゆる領域に関わってきてしまう。人間にはしかし、許されてよいことと、許されてはならぬことがある。見極める力が求められている。