「盛岡だより」(2024.9)
野中 康行
(日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)
新幹線・駅メロディ
【広瀬川】
仙台には、1966(昭和41)年、23歳から40歳まで17年間住んでいた。
住まいは何度か変わったが広瀬川河畔近くに住んでいたこともある。たまに散歩がてらに川端を歩いていたが瀬音の記憶はない。仙台を離れ、そのころが懐かしく思い出されると、「季節(とき)はめぐりまた夏が来て」や「瀬音ゆかしき杜の都」の旋律とともに瀬音も聞こえてくるような気がしてくる。
この川が有名になったのは、1978(昭和53)年のヒット曲『青葉城恋歌』(作詞・星間船一 作曲・歌 さとう宗幸)によるだろう。そのころは、ピンク・レディーやキャンデーズなどアイドル歌手が全盛で、そのなかで失恋を情緒豊かに詠う詩と語りかけるような歌声は異色であった。ヒットしたのは、「早瀬踊る光に、揺れていた君の瞳……あの人はもういない」と、そんなフレーズが大人たちの琴線に触れたからでもある。
この年、さとう宗幸はNHKの第29回紅白歌合戦に初出場している。
この歌のヒットには仙台駅が一役も二役もかっている。当時は「国鉄」だったが、仙台駅長が地元の歌を応援したい思いから本社にかけ合い、許可をもらって構内のBGMとしてひたすら流し続けた。その効果もあって1週間に仙台だけで3万枚のレコードを売り切ったという記録もある。
そもそも、自己責任の海外には列車の発車合図はない。日本で「発車ベル」が導入されたのが、1912(明治45)年の上野駅で、それが長いあいだ続いていた。その「乗車を急かすベル」から音楽に変わっていったのは、1987(昭和62)年の国鉄民営化以降である。
それ以前から音楽を流す駅はあった。古くは、1951(昭和26)年から豊後竹田駅の『荒城の月』、次が仙台駅で、1985(昭和60)年には秋田の米内沢駅が『浜辺の歌』を流し始めている。大きな駅では仙台が最初だから、いわゆる「駅メロ」のはしりが仙台駅なのである。
今、岩手県の新幹線駅に流れる曲は、一ノ関駅はフォークグループNSPの『夕暮れ時はさびしそう』、水沢江刺駅は大滝詠一の『君は天然色』、新花巻駅 (に流れる曲)は宮沢賢治の『星めぐりの歌』である。盛岡駅は小田和正の『ダイジョウブ』、八戸駅は『八戸小唄』となっている。乗客に到着駅を知らせるアナウンスの合図が「ふるさとチャイム」である。北上駅は『北上夜曲』、盛岡駅では『南部牛追い歌』が使われている。
この「駅メロ」と「ふるさとチャイム」のメロディーは地元にちなんだ曲である。その旋律にふるさとに帰ってきたと感じる人もいるだろうし、歓迎の曲と聴く人もいるだろう。どちらにしても親しみを覚えるのは確かだ。
新幹線に乗ることがめっきり減ったが、たまには乗る。
「旅」が終わり、ちょっと疲れたと感じたころに南部牛追い歌のチャイムが鳴り、「まもなく終点盛岡です。どなた様もお忘れもののないように……」とアナウンスされる。そのとき、やっと自分の古巣に戻ってきた思いになり、今までの「旅」が余韻を残して過去のものになって行く。
電車を降りて見慣れたホームに立つと、ようやく現実に戻る。
【東北新幹線 はやて号】