守屋 真実 「みんなで歌おうよ」
もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏
久しぶりに心が湧きたつ小説を読んだ。太田愛の新作「未明の砦」(角川書店)、第26回大藪春彦賞受賞作である。
著者はTVドラマ「相棒」シリーズの脚本家であり、食品会社の品質管理ミスによる悲惨な病気の発生(紅麹事件を思わせる!)とそれを隠蔽しようとする厚労族議員の陰謀、冤罪事件に翻弄される一家の悲哀、情報統制と戦争といった社会的テーマのサスペンス小説も発表している。どれを読んでも展開の意外さと巧みさ、そして作者の博識ぶりに感嘆する。
今回の作品は極めて今日的な労働問題を扱っている。主人公は大手の自動車会社の生産ラインで働く四人の非正規労働者。いずれも20代で、生まれた時から不景気で格差と自己責任社会に育った。人権も労働者の権利も教えられずに育った世代だ。毎日をただ働き、食べ、眠り、契約満了時に備えてギリギリの貯蓄をするだけの生活をしており、そんな暮らしに疑問を持つ余裕すらない。正規雇用労働者の一部は、非正規工をあからさまに見下し、差別や嫌がらせをすることで優越感を感じている。別の者たちは非正規になることを恐れ、自分のクビを守るために理不尽な処遇にも黙って耐えている。要するに、やりたい放題の会社の最底辺で働く若者だ。おまけに四人ともDVやネグレクトなどのワケアリ家庭の出なので、工場の夏休みにも帰る所もない。
そんな彼らに転機が訪れる。正規工で唯一良心的な玄さんが、千葉にある亡き妻の実家に招待してくれたのだ。職場では打ち解けて話す暇もなかった四人が、一緒にバーベキューをし、海で泳ぎ、墓の草取りをしたりするうちに次第に親しくなっていく。ある日、玄さんに「昔は人材派遣業なんて違法だった」と教えられた若者たちは、目から鱗が落ちたように玄さんの親戚が管理する私設文庫で生まれて初めて労働法や労働問題、憲法や民衆の歴史を学び始める…。
あんまり書くとネタバレになってしまうので端折るが、目覚めた彼らを待つのは職場での陰湿な嫌がらせだ。さらには、共謀罪で公安に追われる身になってしまう。それでも四人はユニオンの協力を得て、巨大企業に挑む。ここからは、ハラハラ、ドキドキの連続で、616ページの大作を一気読みしてしまった。最後は思わず拳を握って「よし!」と言いたくなる結末である。
これはもちろんフィクションなのだが、実際に今の世の中にはこういう厳しい労働環境で働かされている人がたくさんいるのだろう。彼らが読めない漢字を調べつつ懸命に本を読み漁るシーンは、感動的であると同時に痛々しい。もし違う社会に生まれていたら、違う家庭で育っていたら、もっと早く能力を開花させることもできただろうに。でも、この小説は、まさに「知は力」であることを示してくれる。人の一生が生まれた時代や環境の当たりはずれで決まってしまうなんておかしいじゃないか。みんなが素朴に疑問を持ち、なぜ世の中がおかしいのかを考え、学べば、そして力を合わせて立ち上がれば、真面目に働く人々が、安定して健康に、楽しく誇りをもって暮らせる世の中を作ることは不可能ではないと信じる。
8月19日には兵庫県芦屋市のヤマト運輸労働者が、熱中症対策の改善を求めて、たった一人でストライキを決行した。すごい勇気だ。9月6日の東京新聞によれば、今年6月東京都葛飾区のデイサービスで、経営側の突然の閉所方針を施設長らが即座に労働組合を結成し、団交によって閉所を撤回させたという。本当に少しずつだけれど、職場や社会を変えるために声を上げる人が現れ始めていると思う。一人では潰される活動も、労組を作れば憲法や労働法に守られるということに気付いた人もいるだろう。黙って待っているだけでは変わらない。
目覚めよ、若者!