暇工作 「個人の闘いと労働組合のパラドックス」

    ひま・こうさく 元損保社員・現在個人加盟労組アドバイザー        


サカイ引越センターの従業員ら6人が、出来高払い賃金制度のため残業代が安く抑えられているとして、残業代1800万円を支払うよう求めて大阪地裁に提訴した。サカイの賃金制度はいわゆる「業績給」で、時間外労働をしても割り増し賃金が低く抑えられる仕組みになっている。労基法違反の疑いもある。6人の提訴は勇気あるたたかいであるが、個人ベルだからこそ展開できた闘いでもある。

というのは、もし、サカイにユニオンショップ条項を持つ、企業組合があった場合を想定してみると、こうした個人レベルの闘いがすんなりと成立したかどうか、疑わしいと思うからである。

 

かつて、損保の大手社でも、「残業代見なし定額賃金前払い制度」ともいうべき、賃金テーブルが採用された。この制度は、会社にとっては人件費の安定的見通しにつながるだけでなく、職場から「残業」という概念を消し去ろうというイデオロギー攻撃としての意味をも持っていた。以降、職場では残業代などという言葉を口にすることさえ、時代遅れであるとの企業文化が出来上がってしまった。そのとき、この制度を問題視する意見はあった。しかし、多数派労組が早々と、このシステムを受け入れてしまっていたというカベは厚かった。

 

サカイとその損保の場合を比較して論じることは適切ではないし、それが本題でもない。誤解を恐れず、暇が言いたいことは、労働組合とは、「諸刃の剣(つるぎ)」を持っている組織だということだ。その刃が結果として労働者の要求封じ込めのための道具となることも少なくない。そのことは、労働組合、とりわけ、企業組合への信頼度が失われている根源的な理由でもある。損保の多数派労組に対する組合員の信頼度を聴いてみると、多くのところで「組合は第二人事部だ」という言葉が返ってくる。労働者の要求をとりあげて闘わないばかりか、組合幹部たちは、会社における自己の出世をなにより念頭に置いていることが見え見えだというのだ。労働組合への組合員のこうした不信感は、世間に屈折して伝播する。暇は、営業社員として勤務していた時、担当する得意先から「あんた、組合幹部だってね。いいねえ、出世間違いなしだろ」と言われたことを覚えている。暇が属する少数派組合は会社から攻撃を受け続けていたから、暇は内心、苦笑するほかなかったのだが、労働組合に対する世間の目線(の歪みも含めて)をあらためて思い知らされたものだ。

 そうした時代だからこそ、サカイのように労働者個人が自らの要求で手をつなぎ、立ち上がってたたかうこと、そういう労働運動こそ、本来の労働組合の姿であろう。だから、彼ら、労働組合に縛られない労働者のたたかいが、たたかう労働組合とはなにかを想起させ、労働組合一般の信頼をも取り戻すことにつながるのだ。これは皮肉だが素晴らしいパラドックスである。