盛岡だより」(2024.10 

 

       野中 康行 

  (日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)


                                 

                                    サイコパス


 

「サイコ」ということばを知ったのは、1960(昭和35)年、高校生のときに観たアルフレッド・ヒチコックの同名の映画だった。怖い映画だったが、よく分からないというのがそのときの実感であった。

 

 サイコは「多重人格」と覚えていたが、サイコパスとは一般人と比べて著しく偏った考え方や行動を取り、コミュニケーションに支障をきたす性格障害の一種で、主な症状は、感情の一部、特に他者への愛情や思いやりが欠如し、道徳観念・倫理観を持たず、それに恐怖を感じないといったことのようだ。

 その特徴をオックスフォード大学の心理学専門家ケヴィン・ダットンは、「他人の痛みに対する共感がなく、自己中心的な行動で相手を苦しめても、快楽は感じても罪悪感は微塵もない『良心の欠如』にある」と定義している。

具体的には、一般には優秀でとても素敵な人に見え、本人も優秀だと思っている。相手のために何かしようとは思わない。他人の感情や死には一切の興味がなく、自分がしたいことを行い、相手が傷つくと思っても悪いとは思わない。想像するのが苦手で、こうなったらどうする? という問いには、必ず「実際になってみないと分からない」と答える。平気で嘘をつき騙す。自分が他人に迷惑をかけることには何とも思わないが、相手が自分にしてくることには我慢できない。などである。

 

 この傾向が強くなり社会生活が困難になれば、治療が必要な病気である。だが、大なり小なりこの傾向のある人はいるものだ。そういう人は組織を乱し、特に企業や団体のなかでは疎まれる存在となる。このような人が権力を握ると、組織運営は独裁的になり、企業ならやがて破綻してしまうだろう。

兵庫県知事のパワハラを告発した文書を、知事は「嘘八百」と断じ、人権を無視した犯人捜しを命じ、公務員のあるまじき行為として報復人事を行った。告発者は「死をもって抗議する」と遺書を残して自死した。知事は、告発された事象に、パワハラは「やや強い指導」で、「亡くなった方には気の毒だが、すべてが適切な処理だった」と主張し、県の百条委員会 でもそう証言した。

私は、この知事に「サイコパス」の典型を見る。自分が絶対正しいと信じているから、誰が何と言おうと非を認めず「すべてが適切」と主張し、誰が傷つこうが亡くなろうが、それは知らないと答えるのである。それは計算されたものかもしれないが、私にはそう見える。

 

 政権のなかにもこの傾向の大臣がいる。強引なマイナーカード取得と医療機関への脅しなど、他人の意見に聞く耳を持たない対応はその典型だ。大臣の皆がそうだとは言わないが、震災の被災者に対する対応、国民が生活苦なのに増税、沖縄の基地問題、少子化、介護問題などの発言に「思いやりと良心の欠如」が随所に見られる。裏金問題でも反省をしたふりをしているだけで、そこには倫理感も道徳観もない。

サイコパス傾向の強い人は頭の良い人が多く、仕事で抜きん出た成果を出す人もいる。だが、このような人物に大臣や知事の権力を与えるべきではない、と私は思う。

そのような気質を持つ彼らは、社会や企業で働いた経験も学習する機会もほとんどないまま、あるいは世襲で「政治家(屋)」になってしまい、手にした権力でその「本領」を発揮するからである。