守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


今回もまた機動隊員について

 

 まだ暑かったころの金曜日、いつものように首相官邸向かいの国会記者会館の柵にバナーやプラカードを取り付けて抗議行動の用意をしていたら、機動隊員が近寄って来て「歩道の使用許可を取っているか」と訊ねた。青年というより少年に近い顔立ちの若い隊員だった。仲間の一人が「許可を取る必要はありません。毎週やっています」と答えると、許可を取らなければ道路交通法違反だからやめろと言う。歩道を占拠しない少人数の行動なら表現の自由の範囲内と認められていることくらい勉強してから出てこいと思いつつ、無視して準備を続けていたら、無線を取り出して上官に報告し始めた。「やめるように言ったんですけど、やめないんです。このまま放置していいんですか」と、私たちに聞こえるようにわざと大声で話していた。

 数分後、よく見かける上官らしい人がガタイのいいのを三人引き連れてやって来たが、私たちを見ると笑いながら新人に短く何か話して引き返していった。機動隊は2~3か月ごとに配置を変えるらしく、新人が来るたびにこういうことが繰り返される。中にはしつこい人もいるので、そういう時のために私は国民救援会の「知っておきたい私たちの権利と心得」というB5判のリーフレットをパウチしていつも持ち歩いている。これは水戸黄門の印籠のように効果覿面である。以前茱萸坂でもこのリーフレットの「宣伝行動に警察の許可はいりません」という項目を読み上げてしつこい輩を撃退した。なんでこんな初歩的なことを私が教えなければならないのかと毎回思う。

 その後、件の若い機動隊員は黙って立ちながら何度もあくびをしていた。もしかしたら、立派に勤めを果たそうとひどく緊張したのかもしれない。市民運動イコール犯罪ではないことを学ばせたならば、これも社会を変える種蒔きの一つだと思うことにしている。

 

 先週の金曜日には8時で解散した後、12月3日にコンサートで歌う「人間の歌」を一人残って練習した。すると一人の機動隊員が近寄って来たので、「もう少し練習したら帰りまーす」と声をかけて20分ほど歌い続けた。帰り支度を始めたら、その機動隊員が「今のはいい歌ですね。なんていう歌ですか」と声をかけてきたから、元国鉄の労働者を励ます歌で、JRに民営化された時に機関士にトイレ掃除をさせたり、車掌に土産物売りをさせたりという陰湿な労働者いじめがあったことを話した。「自分から辞めるようにしむけたんですか」と聞くから、100人以上の人が自ら命を縮めてしまったと言うと、一瞬顔を引きつらせ「そんな酷いことがあったんですか」と驚いていた。30代半ばくらいの人で子どもがいると言うので、「防衛費を増やすより、その分給食費や高校を無償化する方がいいでしょ」と聞いたら、さすがに首肯はしなかったけれど、「教育費が無償だと助かりますね」とため息交じりに答えた。それから少し雑談して、互いにお疲れさまと言い交わして帰路についた。これも種蒔き。

 

 私より年配の活動家の中には機動隊員を毛嫌いする人もたくさんいる。でも、ヒラの機動隊員を相手に喧嘩腰で話して闘っているつもりになっていてはいけないと思う。私たちが闘うべき相手は下っ端の機動隊員ではなく、もっと上の、もっと悪い奴らだ。彼らの中にも私たちの主張の正しさを伝える種を蒔いておけば、きっといつか芽生えると信じている。私はオプティミストだし、これからもそうでありたい。

 

 来年は良い年になりますように!