前田 功          昭和サラリーマンの追憶

              

      

                    「お稚児さん人事」騒動

             


 まえだ いさお 元損保社員 娘のいじめ自殺解明の過程で学校・行政の隠蔽体質を告発・提訴 著書に「学校の壁」 元市民オンブズ町田・代表


 

 娘が学校内でのいじめで自殺させられた事件の3年後のことである。

 

 私は、娘の死の原因、何が娘をそこまで追い詰めたか、知りたかった。知ったからと言って、娘は帰ってこない。しかし、娘の無念の思いを知ることなしに、喪は終わらない。知らなければならないと思った。それに対して、学校や教委は組織を挙げてウソと隠ぺいを繰り返し、私の思いを踏みにじろうとしていた。私の思いに共感してくれる方々の協力も得て、激しく闘っていたころのことである。

 そんな私に、遠慮がちではあるが、「気持ちはわかる。しかし、いい加減にしたらどうか」とか、「裁判なんかやったって得じゃないだろう」とか、「亡くなったものは亡くなったのだから、いい加減にして仕事だけに」とか、「同志に戻っておいでよ」などと言ってくる部長や役員がいた。

 ある日、秘書課の女子社員が血相変えて私のところに飛んできた。「雑誌で、前田さんが社長のことをお稚児さんだと言っていると、役員さんたちが騒いでいる。記事のコピーが配られて・・・」と言う。

 あー、あの話かと思った。数日前、精神科医でドキュメント作家の野田正彰氏から、取材を受け、それが雑誌に載ったのだ。

 取材の中で、娘がいじめ自殺させられるまでは、私は、会社の中で順調にやってきたという話をした。その際、「上司に可愛がられ・・・」という言葉を使った。すると、野田氏は、「ペットや赤ちゃんではあるまいし、大人の男が、可愛がられるなんて・・・」「ビジネスの場で可愛がられて云々なんておかしい」と言った。私は、日本の会社では、上司が部下を可愛がる。部下が上司に可愛がられるというのは当たり前の感覚の話だ。野田氏は長くヨーロッパで暮らしており、日本企業の中で暮らしたことがないから、そんなふうに思うんじゃないかと議論になった。

 その際、「お稚児さん人事というのがあるんですよ。社長秘書や会長秘書をやった人が若くして役員になるとか・・・」と話した。

 当時の社長(記憶が定かではないが、当時すでに会長になっていたかもしれない)は、若い時から、社長・会長の秘書をし、40歳前半で取締役社長室長、50歳で社長に抜擢されている。当時、若き社長としてマスコミでも話題になった。

私と同じ大学の出身で、社内の同窓会の飲み会などで、親しく話したこともある。ハンサムで人当たりの良い好感の持てる人だった。

 私は、社長秘書経験者が社長になるということを、批判するつもりはなかった。秘書はトップのそばにいて、日々帝王学を学べるという幸運に恵まれているのだから、社長にもなりやすいということは言えると思う。当時の役員の中に、その社長の秘書をやった人が、一人か二人いたように思う。

 社内には、これを「お稚児さん人事」という言葉で非難している人たちがいることも知っていた。だから、野田氏との「可愛がられて」の議論の中で、「お稚児さん人事というのもあるんですよ」と言ったのだった。

 この記事を読んだ役員のひとりが、「これはケシカラン。社長を貶めている」と問題にし、記事がコピーされて、役員たちに配られたようだ。

 ただ、その後、私に対して何の咎めもなかった。野田氏の書いてくれた記事は、4ぺージほどだが、2ページ余りは、学校や教員とのウソと隠ぺい、それを許せない私の思いを書いてくれている。サブタイトルは「娘の自殺で出世をあきらめた会社人間哀歌」。その記事のコピーが配られ役員たちがそれを読んだ。そのことによって、私の気持を正確に伝えることができたのだと思う。

 私は、後任の人事課長に、「教育行政との闘いを続けるために東京を離れたくない」と伝えていた。それは「昇進はさせてくれなくていい」という意味でもあった。人事担当を長くやってきた者として、転勤を拒否するということは昇進をあきらめるということであることは、わかっていた。

 その後、前述したような「同志に戻っておいでよ」とか「裁判なんか・・」という話は来なくなった。学校にしても教委にしても会社と同じ組織。組織に属しているものが、組織の悪を叩くのは、会社としては問題だと、危険人物扱いされている感じはした。

 勤務地は変わることはあったが、神田や銀座などすべて都心で、活動に便利だった。担当した仕事は、生保子会社設立準備とか住宅ローン保証保険担当。上司がかかわることはほとんどなく、私一人で判断し実行できる仕事だった。

 そういう意味で、この「お稚児さん人事騒動」は、その後の私に、大いにプラスしたと思っている。

 誰かわからないが、「これはケシカラン・・・」と騒ぎを起こした人に感謝している。

 

 

(上記の雑誌の記事とは、週刊ダイヤモンド 「ミドルの転機」という連載物。この連載は、「中年なじみ」「ミドルの転機 続・中年なじみ」という2冊の単行本になっている。私の部分は「続」に収録されている。野田氏の紹介でこれに登場している方々と交流でき、いろいろ勉強になった。)