今月のイチオシ本
『出世と恋愛 近代文学で読む男と女』斎藤美奈子 講談社現代新書
岡本 敏則
おかもと・としのり 損保9条の会事務局員
斎藤氏は1956年生まれ、現在日本のダントツの「読み手」と思 う。本著は明治以降日本の近代文学の作品を取り上げ、「男と女」について「よーく考えた」本である。
◎青春小説の王道―「近代日本の青春小説はみんな同じだ。似たような主人公の似たような悩みが描かれる。①主人公は地方から上京してきた青年である。②彼は都会的な女性に魅了される。③しかし、彼は何もできずふられる。以上が青春小説のパターン。〈告白できない男たち〉の物語と呼んでおこう。」
◎恋愛小説の王道は「死に急ぐ女たち」―「近代日本の恋愛小説も、実はみんな同じなのだ。こっちはこっちで黄金の物語パターンが存在するのである。①主人公には相思相愛の人がいる。②しかし二人の仲は何らかの理由でこじれる。③そして、彼女は若くして死ぬ。たまに恋愛らしい恋愛に発展すると、どういうわけか彼女は死ぬのだ、いいかえれば、恋愛に踏み込んだ女は、作者の手で「殺される」のである」。例えば徳富蘆花『不如帰』の浪子、伊藤左千夫『野菊の墓』の民子、尾崎紅葉『金色夜叉』のお宮、有島武郎『或る女』の葉子。菊池寛『真珠婦人』の瑠璃子。
◎漱石『三四郎』―「三四郎は福岡県で生まれ、熊本の五高を卒業し東京帝大に入るために上京してきた。父は他界しているが、大学に進学させられる程度の経済力はある。〈これから東京に行く、大学に入る、有名な学者に接触する。趣味品性の具わった学生と交際する。図書館で研究をする。著作をやる。世間で喝采する。母がうれしがる〉。田舎の秀才らしい〈よろしおまんな〉な未来像である」。三四郎は美彌子という女性に強烈にひかれていくが、翻弄されて失恋する。美彌子は兄の友人の金持ちと結婚する。美彌子は初手から三四郎を相手にはしていない。「三四郎と美彌子の関係は〈恋愛未満〉で終わるのであった」。
◎鴎外『青年』―「主人公の小泉純一は山口県から上京したばかりの若者である。三四郎と違い、彼は超の着く見栄っ張りである。〈田舎から出てきた純一は、小説で覚えた東京詞を使うのである。丁度不慣れな外国語を使うように。帽子から袴、足袋まで新品で自分では、昨夕初めて新橋に着いた田舎者とはだれにも見えない〉、と思っている。彼の希望は小説家として成功することだった。〈家には一族が暮らしていかれるだけの財産がある〉。進学も就職もせず、創作の道を目指す。こういう人はバイトで食いつなぐのが一般的だが、家は資産家なので、その要もない。結構なご身分である」。純一は超奔放な若い未亡人坂井夫人と出会いナンパされて初めての性体験をする。純一の頭は彼女で一杯だが夫人にとってはアバンチュール。〈こんな年上の未亡人を好きになるはずがない。こんな相手は前途ある自分に相応しくない〉という世俗の常識に依拠する差別意識。恋愛の機微は理解できない。純一と坂井夫人の関係は〈恋愛未遂〉で終わる」。
◎シティボーイの青春―「文学の新しい潮流として〈白樺派〉が生まれた。武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、里見弴など、学習院の同窓生が集まった同人誌『白樺』の同人で、端的に言えば、寝食の心配がいらない、〈いい家の子〉の集まりである。上京という関門をスキップできたシティボーイ」。代表作は実篤の『友情』。同じころ厨川白村は『近代の恋愛観』というエッセイを『朝日新聞』に連載し大反響を呼んだ。「〈恋愛無くして人間らしき生殖もなく、生殖無くして人間の存在は絶ゆ。私は言ふ、放蕩乱淫は性欲の遊戯化である〉。恋愛結婚至上主義を、今日の社会学では〈ロマンチック・ラブ・イデオロギー〉と呼ぶ。簡単に言えば、〈恋愛と性交と結婚〉を三位一体の不可分な関係ととらえるキリスト教由来の思想である。『友情』が戦後長らく中高生の必読図書に祭り上げられたのはなぜか。一つの理由は、「友情」が描き出した世界観や恋愛観が、むしろ戦後のそれに近かったことである。
〈君よ(恋の敵役)仕事上で決闘しよう〉という主人公の決意でテキストが幕を閉じるのは『友情』がまぎれもない青春小説だった証拠である」。
◎死なないヒロインの物語―「①宮本百合子『伸子』である。百合子は女学校時代から小説を書き始め、日本女子大英文科在学中の時『貧しき人々の群れ』でデビュー。天才少女と騒がれた。『伸子』は作者自身の最初の結婚を題材にした長編である。すぐに高い評価を受けたが、多くの読者を獲得したのは戦後だった。そのくらい時代を先取りしたわけである。断っておくと、『伸子』はプロレタリア文学ではない。そして主人公は物語の最後に至っても死なない。女性作家はそう簡単にヒロインを殺したりしないのである。②野上弥生子『真知子』。弥栄子と百合子は友人同士で、『真知子』は『伸子』を意識した作品と言われる。この二作の大きな違いは。『伸子』が中産階級の価値観から一歩も出ないのに対し、『真知子』は階級を意識している」。真知子は(社会)主義者に恋をする。
「明治大正の女はみんな受け身で親や男の言うなりだった、というステレオタイプな女性イメージを『伸子』や『真知子』は見事に打ち砕く。此の二作は別れを前向きに描いた点でも、特筆される。伸子と真知子がきっぱり別れを選べたのは、恋愛や結婚以外の生きる道を持っていたからだろう。二人とももともと結婚にさしたる価値を見出していなかった。失恋しても離婚しても〈今に見ていろ、あたしだって〉な何かがあれば、人生生きていけるのだ。死んだ歴代のヒロインは草葉の陰で合掌していたのではないか。私だって、別に死にたくて死んだわけじゃないのよ。持続可能な恋愛が書けない無能な作家と、消えてくれた方がありがたい自己チューな男と、悲恋好きの読者のおかげで殺されたのよ。私らが死んだおかげで、作品はベストセラーになったりロングセラーになったりしだからね。有難く思いなさいよ!」