今月のイチ推し本

『おかしゅうて、やがてかなしき 映画監督・岡本喜八と戦中派の肖像』前田啓介 集英社


                       

         岡本 敏則

 

    おかもと・としのり 損保9条の会事務局員

 


 岡本喜八監督と言っても、今やぴんとこない人の方が多いだろう。代表作は『肉弾』『独立愚連隊』『日本の一番長い日』等、それなりにヒットしたが、名作とはなかなか言われない。だいぶ前の文春文庫の『日本映画ベスト150大アンケート』を引っ張り出して確認してみた。監督としては23位、作品では『肉弾』120位、『独立愚連隊』168位、押している回答者をみてみる。監督―永六輔・森卓也・村上知彦。『独立愚連隊』―小田島雄志・永六輔・逢坂剛。『肉弾』—玉村自・村上知彦。『日本の一番長い日』―深田祐介・福富達。

 筆者が好きな作品は『独立愚連隊』『肉弾』。岡本喜八、本名岡本喜八郎、鳥取県米子出身。1924年2月17日に生まれ、2005年2月19日82才で亡くなった。地元の旧制中学から明大専門部商学部を卒業。東宝に入社するが、すぐ召集され軍隊に。豊橋の陸軍予備士官学校に同期20名と共に到着したその日、米軍の空爆に遭う。「器材庫ニ入ルト同時ニ爆弾ノ落下音聞コエ、間モナク至近距離デ爆発、瞬時ニシテ吹ッ飛ブ」「硝煙ガ消エ、オノレヲ取リ戻シテ起キ上ガレバ。タダモウ泥絵具ノ地獄図絵ノ惨状、ホトンドガ即死ニ近カッタガ、片手片足ヲ吹ッ飛バサレテモナオ『畜生ッBノ奴、Bノヤツ』ト、ハミ出したハラワタヲ押シ込マントスル戦友アリ」(日記より)。これが戦中派喜八監督の原点となる。 

 

 ◎戦中派とは=戦後元陸軍軍人で、評論家の村上兵衛が使用したことに始まる。この言葉は戦争体験のある世代すべてを総称するものになったが、当初は敗戦時に10代後半から20代前半の青春期だった世代を指した。敗戦時に30才前後だった世代は「戦前派」、より年少で敗戦時に10歳前後だった世代は「戦後派」と呼ばれた。

―東宝に復職した喜八は、衣笠貞之助、マキノ雅弘監督の助監督を経て監督となる―

 

 ◎『独立愚連隊』=喜八監督の記念碑的作品、1959年に公開された。舞台は大東亜戦争の末期の「北支戦線」。各部隊のクズを集めた「独立愚連隊」と呼ばれる小哨隊が敵中深く侵入。そこに従軍記者と名乗る荒木(佐藤充)が同行し、敵の大群と対峙し奮闘するが敵も隊も全滅。たった一人馬賊に助けられた荒木は、彼らとともに、はるか大陸の彼方へと消えていった。佐藤充が抜群だった。

 

 ◎『肉弾』=1968年公開、喜八23作目の作品。1945年夏、本土決戦を控えたある海辺の町。特攻隊員となった若者(あいつ 寺田農)が作戦遂行直前に与えられた一日だけの休日に体験した出来事を描いた作品だ。『肉弾』の物語を貫くのは。死から逃れようとするのではなく、そのこと自体は運命と受け入れつつも、自分が何のために死ぬかを模索する若者の姿である。知り合った少女(大谷直子)が裸になり「あいつ」に聞く。「・・・きれい?」と。「あいつ」は「うン、とっても・・・」と応じる。両親を空襲で喪った彼女もまた、明日をも知れぬ運命を生きていた。「あいつ」が少女に抱きつきながら叫ぶ。「俺は死ねる。これで死ねる。君のために死ねる。・・・おれは、君を守るために死ねるぞォ!」。大谷直子、まぶしかった。

 

 ◎『沖縄決戦』(1971年制作)についての竹中労の怒り=「この映画に描かれた”沖縄”は沖縄ではない。岡本喜八は、日本軍人を美化する(この映画には民間人を凌辱する日本兵は一人も出てこない!?)数倍の努力をはらって、南部の戦闘に自死した沖縄民衆の抵抗を描くべきだった。そうすれば白骨となった彼らの怨念は、26年の歳月を跳躍して私たち日本人(やまとんちゅ)に、戦争とは何か?”平和”とは何か?という問いを鋭く突き付けたであろう。」

 

 ◎「女優」についてのエピソード=①原節子「小林さんと歩いていたら原節子がやってきた。日本一のシャンでアル。キレイだ。彼女ガクンと身体を曲げて小林さんにコンチワと言った。彼氏はヨウッと答えた。チキショウ、早く、こんなになりてェなとオレは思った」②高峰秀子「企画の菅クンと芝生に寝転ぶ。デコ(高峰秀子の愛称)は目下灰田勝彦(当時の人気歌手)と同セイしてる由。その前は黒沢(明監督)ととか チキショウ」

 

 ◎「巨匠たち」学生時代の日記より=「神田日活で姿三四郎を見る。ケッ作だ。新人黒澤明のウデ前にはシャッポを脱ぐ」「午後渋谷松竹で、ワタナベと”花咲く港”を見る。クダラナイ大船エーガ。新人木下恵介は黒沢より落ちる」「東映食堂でランチを食らい、文化映画ゲキ場へ行く。フイルム”戸田家の兄妹”。良かった。ダン然楽しいカツドウであった。小津(安二郎)ちゃんウマイ」「新宿東宝で、”花子さん”、帝都座で”右門 護る影”。前者は、マキノ(雅弘)にも似合わず、ツマラナイ。返って後者の方がタノシメル」

 

 ◎五木寛之の喜八論=「(喜八監督)は役者もちゃんと立てるし、気を遣ってるんだよね。黒澤さんとかさ、なんかサディスティックに俳優とかを使うじゃないですか。そういうことはできないんだね。なんか、こう人間味というか、そういうものが出ている。喜劇なんて言うのはね、あんまり人間的にやっちゃダメなんですよ。人間っていうのはね、やっぱり高いところから見てね、ある程度バカにしてるっていうかさ。なんかそういうところがないと。喜劇とは残酷なものですから。岡本さん、温かいところがあるからね。喜劇は非人間的な撮り方をしないとできない。人間を人間として尊重し過ぎたら、喜劇は撮れないと思います。それがやっぱり、岡本さんは、人間的にそれができなかった。だから岡本作品に惹かれる人たちは、気が付かず無意識に共鳴している部分があるかも知れない」。

 最後に喜八監督「喜劇っていうのは、だから、本当に痛烈だなって思う。見ているときは、おかしくて仕方ないんだけれど、おかしゅうて、やがて悲しい・・・とそういうものを、どうしてもやりたい。とってもむずかしいことだとおもいますけれどね」。

「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」芭蕉。