盛岡だより」(2024.7 

 

       野中 康行 

  (日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)


                                 

                                    「さよなら」が消える


 

 日本人は「別れ」に特別な思い入れがある。古くから多くの詩歌に詠まれ、歌詞に「別れ」「さようなら」が出てくる歌は数知れない。

 だが、今はそれほど意識されない。世界のどこにでも安全に出かけられるようになり、いつもスマホや携帯電話でつながっているから別れを実感しないからであろう。「さようなら」ということばを聞くことも言うこともなくなった。当然、「見送り」しなくなった。。

 私が3,40代のころは、転勤になる先輩や同僚を、駅のホームで見送ったものだ。駅に頼んで『蛍の光』を流してもらい、万歳三唱などで送り出していた。4月1日のホームには、そんな集団が2つか3つはあった。『ドリフのズンドコ節』が流行っていたころだ。

 

 ♪ 汽車の窓から手を握り/送ってくれた人よりも/ホームの陰で泣いていた/可愛いあの子が忘られぬ

 

 見送りに来た可愛い子がホームの陰にいたこともある。行きつけのバーのママが立っていたことはよくあった。私が転勤で送られたのは5回だが、送った数は数知れない。そんな別れには、送られる方も送る方にも気分の高揚があったものだ。

 今は、ちょっと指先を使えば、さっき別れた人にメールが送れ、返事もすぐくる。いつもつながっているから「別れ」というものがない。別れがないから、駅まで出向いて泣いたり手を握ったりすることもない。

 

 人生最大の別れは死別であろう。今年になって同級生3人が逝った。いずれも葬儀は近親者のみで行っている。この傾向はコロナ禍で加速し定着してきた。新聞の死亡広告をみても、近親者のみで行うというものがほとんどである。

識者は、この傾向を「死の家族化・個人化」と呼び、「死の孤立」を招いているといっている。このままでは、いずれ、「死亡広告」も「喪中ハガキ」もなくなってしまうかもしれない。

 私たちは、死を葬儀という一連の儀式を経て「別れ」を納得し、それで区切りをつけてきた。死は、すべての関係者が共有すべきものであったのだが、今は、悲しみを家族と共有することもできず、故人をいつの間にか社会から「消えた人」にしてしまっている。「死の孤立」とはそういうことなのだろう。

つながっていたと思っていたが、実はつながっていなかった。別れのあいさつも見送りもできず、ずっと後でそれを知る。そして、何もなかったように忘れられる。そんな「別れ」は、お互い寂しくはないか。

 

 人生に味付けされるのが、喜びと悲しみ、苦しみと楽しみで、「別れ」もその1つである。それがなくなっては「人生の味」が薄くなる。

 いっときの別れは日々にある。またすぐ会えるから「さよなら」は言わなくなったけれど、いつ今生の別れになるか分からない。昔の人がそうだったように、別れ際の「さようなら」は大事にしたい。

 

 ♪ さよなら三角/また来て四角/…… ごきげん五角で/また明日……さようなら

 

 幼稚園では、帰り際にこんなことば遊びで「さよなら」をしていたようだ。とても大事なことに思えるが、今もやっているだろうか。