暇工作 「一本の鉛筆」と自衛隊

    ひま・こうさく 元損保社員・現在個人加盟労組アドバイザー        


「…あなたに聞いてもらいたい あなたに歌ってもらいたい…」

 ヒロシマに原爆が投下された、8月6日を目前にしたある日、個人加盟労組の「暑気払い」で、Tさんが歌い出した。美空ひばりの「一本の鉛筆」という反戦歌である。

 ひばりが数ある自分の曲のなかでも「生涯ベスト10の一つ」に挙げる、格調高い名曲だ。この歌はひばりによって1974年(昭和49年)の第一回広島平和音楽祭で発表された。松山善三さんが作詞し、佐藤優さんが作曲を担当した。(佐藤さんは損保の労働運動・平和運動に古くから関わってきた中島郁夫さん=日動火災出身、元全損保副委員長)の学生時代からの友人でもある。

 ところで、この「一本の鉛筆」が、陸上自衛隊中央音楽隊のレパートリーの一つだと、暇が知ったのは、ごく最近のことである。YouTube映像も見た。鶫(つぐみ)真衣さんというソプラノ歌手が、澄んだ美しい声で歌い上げている。

 しかし、暇は、どうにも払しょくしきれない違和感に戸惑っている。歌う鶫さんは、自衛隊の制服姿である。(隊員だから当然だが)その制服から「一枚のざら紙があれば、戦争はイヤだと、私は書く…」「8月6日の朝と書く…」と語りかけられると、暇の場違い感はいや増す。

 もちろん、反戦歌は労働組合や平和運動家や、一部の人々のものではない。自衛隊が演奏したり、歌ったりして何が悪い、といわれれば、それはその通りである。多くの人々に歌ってもらうことはいことではないか、といわれれば、それもごもっともだ。自衛隊の人々だって、本当は戦争より平和の時代の方がいいに決まっている。自衛隊のタテマエは「専守防衛」ではないか。戦争で死ぬ心配もなく、公務員として給料がもらえて、国の災害救助隊として活躍して国民から感謝、尊敬されるなら、それに越したことはないではないか。この歌が自衛隊の持ち歌(?)になっているのは、ひょっとしたら、多くの自衛隊員が密かに願う、武器を捨てた平和自衛隊としてのそんなイメージが深層海流として存在するということなのだろうか。

 しかし、自衛隊が実戦部隊であることは間違いない事実だ。本番さながらの実戦訓練を続け、一朝事あれば武器を持って戦場に赴く組織である。台湾有事は日本の有事だと息巻く政治家もいる。自衛隊に平和のイメージを持てと言われても、暇には、やはり無理である。

 

 歌には、その歌だけが持つ心がある。「…勝ってくるぞと勇ましく…」という軍歌の心は帝国ニッポンの戦意高揚だが、「一本の鉛筆」は先出のTさんが会員でもある「9条の会」が目指す護憲の心、不戦の心でもある。美空ひばりは、横浜大空襲の被災者で、「戦争だけはもう決してしてはいけない」が口癖だったという。広島平和音楽祭で暑い控室で出番を待つひばりに係の人が涼しい部屋への移動を勧めると、「広島の(当時被ばくした)人たちはもっと暑かったんでしょう」と暑い部屋で待機を続けたという。「一本の鉛筆」には、そういう人々の思いや歴史が込められている。自衛隊音楽隊が歌い、演奏する場合に、そうした心は偲ばれているのだろうか。護憲、不戦の心はどのように消化されているのだろうか。聴いた人々は、なにを思うのだろうか。