雨宮処凛の「世直し随想」

 

 

     失われた30年の起点


 あまみや かりん 作家・活動家。フリーターなどを経て2000年,自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。『生きさせろ! 難民化する若者たち』(07年,太田出版/ちくま文庫)で日本ジャーナリスト会議賞受賞。


 2025年は、1995年から30年という節目の年である。1月に阪神淡路大震災があり、3月には地下鉄サリン事件が起き、8月には戦後50年という怒涛(どとう)の年から30年。『新世紀エヴァンゲリオン』の放送が始まり、『ゴーマニズム宣言』で薬害エイズの問題が取り上げられ、現国会議員の川田龍平氏が薬害エイズ当事者として実名公表へと踏み切り、サリン事件によってセキュリティー強化が叫ばれた監視社会元年。カルトや洗脳という言葉が流行り、世紀末に向けたカウントダウンが「ハルマゲドン」という言葉とともに本格的に始まり、「援助交際」という言葉が登場し、「終わりなき日常を生きろ」と社会学者が唱えた95年。

 私は20歳でフリーターでこの先が見えなくて、生きるのがとにかくつらくてリストカットばかりしていた。そしてこの年、今の格差社会と「失われた30年」を決定づけるある報告書が日経連(現経団連)から出されている。

 それは「新時代の『日本的経営』」。この報告書では、働く人を「長期蓄積能力活用型」「高度専門能力活用型」「雇用柔軟型」の三つに分けようという提言がなされている。これからは幹部候補の正社員と、スペシャリストと使い捨て労働力に分けようというものだ。結果、30年後のこの国では非正規が4割近くになり、少子化が加速した。

 私の世代であるロスジェネはその直撃をもっとも受けた層だ。そんなロスジェネの一人である私は今年50歳になる。この世代の取り返しのつかなさに、歯噛(が)みする思いだ。