今月の推し本

 

 動乱期を生きる」内田樹・山崎雅弘 祥伝社新書710


                       

         岡本 敏則

 

    おかもと・としのり 損保9条の会事務局員

 


 

 この間の東京都知事選、兵庫県知事選、自民党議員の裏金問題、またそれを支持し投票する国民を見れば、国全体が劣化しているというのが実感だ。内田氏(1950年生、思想家)、山崎氏(1967年生 戦史・紛争史研究家)とも積極的にSNSでも発信している。本書は二人が縦横無尽に語り合った「成果」である。

 

◎大阪・維新・吉本=大阪では、ニュースや時事問題も扱うテレビ各局の情報番組に、まるでお目付け役の様に吉本のお笑い芸人が出演して、大学教授や弁護士などの専門家が維新への批判的な意見を述べると、即座にかぶせるようにして笑いで打ち消してくる。大阪府知事と大阪市長は、2011年から現在まで「大阪維新の会」に所属しているが、吉本興業は今年開催の大阪・関西万博をはじめ、大阪府や大阪市の公的事業を巨額のビジネスとして請け負う立場です。吉村大阪府知事や松井前大阪市長、同組織の創設者である橋下徹らも、大阪のテレビ局の情報娯楽番組に頻繁に出演して、司会者のアナウンサーや吉本芸人との「軽妙な掛け合い」で親しみやすさをアピールしている。視聴率が取れると気づいた大阪のテレビ局は競ってその路線に走った。後戻りができないぐらいに維新と癒着している’(山崎)

 

◎NHK=昨今のNHKは、報道部よりもドラマやドキュメンタリーの制作班の方が気骨がある。先日、NHK制作のドキュメンタリー番組の取材を受けた。優れた企画だったし、うちに来たスタッフのみなさんも面白い方々ばかりだったので、「最近のNHKはドラマやドキュメンタリーは攻めていますね」と言ったら、プロデューサーの女性がにっこり笑って「報道は『腰抜け』ですけれど」というご返事でした(内田)

 

◎偉そうな指導者を求める国民心理=今の日本は国民に負担や犠牲を求める政治家と、国民の生活を支援したいと訴える政治家では、前者の方が支持されるという傾向がある。おかしいでしょう。国民の生活を守りたいという政策で訴える候補者には投票しないで、「国民には人権はない」とか「国民主権という発想そのものが間違っている」とか暴言を吐く政治家の方に票が集まるんですから、明らかに倒錯している。有権者の目には、自分たちに手を差し伸べる政治家よりも、自分たちを侮る政治家の方が「偉そうに」見える。この人がこんなに偉そうにしているのは権力者だからだと推論する。そして投票行動に移す。国民にとって、一番有難い政策を掲げているのは共産党と、れいわ新選組とか社民党じゃないですか。でも、自分たちの生活をよくしてくれそうな政党には有権者のほとんどは投票しない(内田)

 

◎衆院選と選挙を弄ぶ人たち=〇共産党は後退しました。国民民主党とは対照的に、共産党が主張する政策は、社会全体の枠組みを変えていこうという大きなものです。具体的には一部の支配層だけが富を独占するシステムを変えよう、というメッセージなのですが、明確ではあるけれども綺麗ごとと捉える有権者の方が多かったのかもしれません。もう社会のシステムは不公平なままでもいいから、自分の状況が今よりちょっとでも金銭的にマシになればいい。そういう夢を観させてくれる政党として国民民主党が浮上した(山崎)

 

今あるシステムは腐っているし、ろくなものではない。けれどもこれを補正するには労力がかかりすぎる。それよりはシステムに空いている「穴」を利用して、自己利益を増大させる方が生き方としては効率がよいし、スマートだ。そういう風に考える人が増えています。僕はこういう人たちのことを「ハッカー(hacker)」とよんでいます。システムの欠陥を修正することには関心がなく、むしろその欠陥を活用して私利私欲を満たす人たちのことです。このタイプのハッカーたちをメディアは「インフルエンサー」として持ち上げる。だから、若い人たちは彼らをロールモデルにして、自分もシステムを悪用する手立てを探そうとする。システムがろくでもないところから受益する人たちの数が増えれば増えるほど、システムは機能不全に陥る。当然のことですが、それが今日本で起きていることです。2024年11月の兵庫県知事選が、まさに日本のシステムの劣化を象徴した事件でした。斎藤陣営でこの選挙戦にかかわった人たちは公選法のルールに従って「まともな選挙」をすることには関心がなく、いかに公選法の「穴」を探し出して、それを利用するか考えた。(内田)

 

◎オールド・メディアの存在意義=東京都知事選、衆院選、兵庫県知事選、どれもネットメディアを通じて、ハッカーたちが暗躍したことが印象的でした。これを「オールド・メディア対ニュー・メディアの対立」図式で捉えて、オールド・メディアが社会的影響力を失ったという総括をした人が見られましたけれど、僕は違うと思います。どの選挙戦でも、オールド・メディアは立候補者たちの政策の適否や、公人としての資質について、冷静に吟味するという仕事を放棄して、ただ「誰の支持率がどのくらい」という数値だけを報道するだけで、それが何を意味するかについての解釈や分析の仕事を放棄しました。兵庫県知事選では、オールド・メディアが報道機関としての仕事を放棄した結果、巨大な政治的変化が起きてしまった。それは逆から言えば、オールド・メディアが世論形成にどれほど大きな影響力を持ち得るのかを証明したということです。オールド・メディアが「まともな仕事」をしていれば、日本の政治はここまで劣化していなかったということです(内田)