最高法規”/憲法は今も生きている


     獨協大学名誉教授(憲政史)古関彰一さんに聞く        


 2025年度予算では、「防衛費」が初めて8兆円を超えました。物価高への対策は乏しく、社会保障も削減されようとしています。憲政史を研究する古関彰一獨協大学名誉教授は、その要因の一つに、長年の自民党政治が、憲法より日米安保条約を重視してきたことがあると指摘し、「憲法が国の最高法規(98条)であることを今一度、考えてほしい」と語ります。

      ○

●ダレスは理解していた

 憲法と日米安保条約との関係を米国側の視点から研究しています。安保条約改定に向けた交渉(1955年)の際に、日米安保の生みの親と言われるジョン・F・ダレス国務長官(当時)は、日本が憲法9条を改正しない限り、相互に軍事的な協力をし合う安保条約への改定は不可能ではないかと、当時の重光葵外務大臣に問うたことが、外務省の記録で明らかになりました。

 ダレスは、戦争を放棄し国の交戦権を認めない憲法9条と、憲法が国の最高法規であるとする98条の意味を正しく理解していたといえます。しかし、重光外務大臣は「(両政府間で)協議すればよい」と強弁し、ダブルスタンダードのまま1960年の安保条約改定に突き進みました。

 憲法9条を「棚上げ」し、安保条約をさらに拡大・強化する政治が長年続けられ、日本が他国から攻められなくても自衛隊が同盟国の戦争に全面的に参戦できる「安保法制」や、防衛費を国内総生産(GDP)比2%に引き上げる「軍備増強」、先制攻撃となりかねない「反撃能力」(敵基地攻撃能力)の保有などに至っています。

 私は、このような現状を見るにつけ、憲法9条が仮死状態に陥っているという危機感を強く抱いています。一方で、まだ死んではいない。かろうじて生きているともいえます。なぜなら、現在の憲法が制定されて以降、一度も改正されてこなかったからです。これまで改憲への動きは常にありましたが、国民の支持により変えられなかったことに、最高法規としての価値があります。

 

 ●狙いは9条の死文化

 私は、武力攻撃など有事の際の対応を定めている日米安保条約第5条が「自国の憲法上の規定および手続きに従って共通の危険に対処する」と宣言していることに注目しています。

 憲法9条を「棚上げ」した法律や方針が安保条約を根拠につくられてきたことは先述の通りです。

 しかし、安保条約5条の「憲法上の規定」に従えば、「棚上げ」してつくった法律や方針さえも、最高法規である憲法の制約を受けることになっているのです。

 だからこそ、改憲派は緊急事態条項の創設や、9条に「自衛隊」を書き込むことで、憲法そのものを変えてしまおうと躍起になっているのです。「棚上げ」状態を強めることで、米国が仕掛ける戦争に日本が全面的に参加できるようにしようともくろんでいると私は考えます。そうなれば、日本が戦争の最前線に立たされることになりかねません。9条はもちろん、戦争放棄を前提とした他の条文も含めて憲法は本当に死んでしまうでしょう。

 物価高が続き生活は日に日に苦しくなっていますが、政府の対策は不十分と言わざるを得ません。一方で、今年度の防衛費予算は8兆円を超えました。私たちの命や健康、暮らし、子育て、仕事のために使われるべき税金が、他国を攻撃するための軍事費増に使われているということです。今一度、「憲法は国の最高法規」(98条)であることの意味を考え、政府の姿勢を問う声を上げてほしいと思います。