斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

       テクノフォビアで何が悪い

 

 

 


 さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。


  

 最寄り駅のホームに置かれた清涼飲料水の自動販売機で、硬貨が使えなくなった。キャッシュレス対応とのことだが、スマホや携帯電話の類いが嫌いで、保有もしていない筆者にとっては、水やお茶を買う資格もない不可触民扱いされているのに等しい。

 デジタルに隷従できぬ者は人にあらずの時代。スマホ決済しか認められない小売店が増殖していく。運転免許証の〃マイナンバー〃カードへのひも付けも始まった。

 それらを伝えるマスメディアはこぞってバンザイ〃報道〃というか、お追従の大宣伝ばかりを繰り返す。便利だ便利だ、これで社会全体の生産性が上がるのだ、と。

 ところが、筆者は生理的にダメなのである。監視社会に通じるから、などといった理屈のはるか以前に、IT企業によって創られたアルゴリズムとやらで動く〃システム〃ごときに支配されている自分を、想像しただけでジンマシンが出そうだ。

 折も折、フリーアナウンサー・古舘伊知郎氏(70)の発言が話題を呼んでいる。自らを「テクノフォビア(複雑な科学技術に対する嫌悪感)」と告白。〃マイナンバー〃に反発する人がいる日本社会を「欧米では考えられない」などとやゆする向きに、「新たなものに対する不信感は日本人ならではの素晴らしい感受性のアンテナじゃないか。なんで欧米のメンタリティーと一緒になんなきゃいけないんですか」と語ったのだ。

 同感だ。筆者の場合、従来の仕組みを一気にデジタルオンリーに組み換えようという志向そのものも許せない。何かと言えば「一人も取り残さない」というSDGs(持続可能な開発目標)のキャッチフレーズを掲げたがる政府やグローバル企業だが、そこには「ただし、我々の意向に従順な人間である限り、な」という恐喝が隠されている実態を深く考え、対応していかなくてはと思う。