盛岡だより」(2025.5 

 

       野中 康行 

  (日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)


                                 

                                     春の農事暦

 

                             岩手山頂の雪形「鷲」

 

  昔の人は、岩手山頂に羽を広げた鷲の模様が現れると農作業の準備を始め、コブシの花が咲くと田起こしの作業を始めた。コブシを「田打ちザクラ」と呼び、この花が田起こしの合図であった。

このように、種籾(もみ)を蒔く頃合いを知らせる「種まきザクラ」と呼ばれるサクラの古木が日本のあちこちにある。

 

春咲く花は、気象の影響を受けて開花が早まったり遅くなったりする。このブレが大きいと農事の目安としては使えない。梅の花は40~60日、ツバキは60~100日もブレるが、サクラはせいぜい20 日である。10日早いか10日遅いかで短いから農事開始の目安になったのである。

中央気象台(気象庁の前身)がサクラの開花予想を発表し始めたのは1928(昭和3)年からである。今は、「お花見」の行楽シーズンを伝えるものになってしまったが、当時、この予報は農業関係者に伝えるためだった。農家はこの情報をもとに作業日程の目安にしていたのである。

「雪形」とは、春の山に現れる残雪模様のことである。岩手山頂に現れる羽を広げた鷲の形も、名前の由来となった白馬岳の「代掻き馬」も、鳥海山の「種まき爺さん」も農作業開始の合図であった。このような農作業に関連する「雪形」は、全国に300以上あるという。

 自然が相手の農民は、自然のなかのある法則らしきものに気がついた。コブシの花が咲くころから田打ちを始めると頃合いがよく、サクラの開花時に種籾を蒔くと、田植えには手頃な長さに育つ。雪形も農作業の目安になったのである。

検証は世代を超えて続けられた。それに耐えた法則は真理となった。人は、それを「田打ちザクラ」や「種まきザクラ」と呼び、雪形には「代掻き馬」や「種まき爺さん」と名付けて伝承されてきた。

 

空にはうす雲がかかり、平野は春の光があふれている。林の梢に若葉が萌え、根元にヤマブキの花が咲く。望む山々の山腹は色づき始めてふくらんでくる。

岩手山頂の雪形も分からなくなった。だが、郊外に農作業の人影は少ない。機械化された農業は昔ほど早く作業を始める必要もないし、短日で済む。

人間が自然のなかで学んで得た知恵と、とても人間くさい伝承が失われていく。そして、自然と人との距離がまた開く。

               

 

【白馬岳の雪形「代掻き馬」】