今月の推し本

 

『落語の人 春風亭一之輔』中村計 集英社新書


                       

         岡本 敏則

 

    おかもと・としのり 損保9条の会事務局員

 


 

 著者(1973年生)が落語というか寄席に接したのが、池袋演芸場。幟がたっているビルの地下に降りていくと客席70ぐらいの小さな寄席がある。東京には定席としての寄席がほかに新宿末廣亭、上野鈴本、浅草演芸場と4席ある。著者はそこで一之輔に会い、のめり込み本を書くまでになった。渋る一之輔を何とか説得し、インタビューを重ね本書は成った。

 

 一之輔は1978年1月28日、父川上欣夫、母芳子の間の4番目の子供として、千葉県野田市に生まれた。上には年の離れた3人の姉がいる、長女とは12歳、二女とは10歳、三女とは7歳離れている。高校は越境して埼玉県立春日部高校に通った。その後日本大学芸術学部に入学し、落研に所属。2001年春風亭一朝に弟子入りした。落語家が所属する協会は、大きく分けて二つある。落語協会と落語芸術協会。一之輔の師匠筋である春風亭柳朝一門は、最大派閥の落語協会に属している。師匠は弟子を取ると、所属する協会に届け出なければならない。その順番がそのまま落語家の序列になる。その並びを「香盤」と呼び、自分より先に名前がある人はすべて先輩となり、逆は後輩となる。通常はその「香盤」順に、「前座→二ツ目→真打」と昇進していく。しかし、ごくまれに期待の新人が現れると、協会はその順番を飛び越えて、真打に取り立てる。それを「抜擢真打」と呼ぶ。二ツ目から真打になるのに、だいたい10年ぐらいかかるものなのだが一之輔は7年4か月で、「21人抜き」で真打になった。一之輔を強力に後押ししたのが、人間国宝で当時落語協会会長だった柳屋小三治だった。人を誉めないことで知られる小三治が一之輔のことを「久々の本物だと思った。芸に卑屈なところがない。人を吞んでかかっている。稀有な素質だ。この人を発見して嬉しかったですよ。この人しか考えられないという気持ちにさせてくれたのが嬉しい。選ばせてくれてありがとう」。2023年2月5日、一之輔が『笑点』の新メンバーに選ばれたというニュースを、多くの落語ファンは「まさか」と思った。『笑点』のメンバーは必ずしも落語の実力を基準に選ばれているわけではない。『笑点』はあくまで大喜利であって落語ではない。落語ファンは、ほぼ例外なく『笑点』を取るに足らない番組だと冷ややかに見ている節がある。落語を誤解させる元凶とさえ思っている。落語ファンが一之輔のメンバー入りにショックを受けたのはそのせいだ。

 

 ◎出囃子=一之輔の出囃子は「さつまさ」で、この出囃子は大師匠柳朝の出囃子で、真打に昇進したとき、本人のたっての希望で受け継ぐことが決まった。「さつまさ」は歌舞伎の『髪結新三』に使われている曲で、威厳があって、艶やかで、どこか物憂げで、相応の実力者でなければ似合わない出囃子だ。

 

 ◎割り=「寄席では、ギャラのことを『割り』って呼びます。入場料の半分を寄席がとって、残りの半分を出演者で割るんです。だから、割り。均等ではないんです。キャリアに応じて持ち点があって、その持ち点に応じて配分される。互いに持ち点がいくつかは知らないんです。ケンカのもとになるんで、知っているのは席亭と協会の事務員さんだけ。客の入りが悪いと、3000円にもいかないことがある。飯食ったらおしまい。交通費をかんがえたら赤字です(一之輔)」

 

 ◎キャパ=落語は、もともとお座敷芸ですから、寄席ぐらいのキャパの方が、僕もやりやすいんですよ。広いより狭い方がいい。多くても500キャパぐらいまでかな。なので、1000人規模の会場になったら、やり方をちょっと変えますね。少し動きを大きくしてみたり、といっても、変えるほどでもないかな。落語を聴く条件として密であるってことはすごく大事なんですよ。笑いにつながりやすい(一之輔)」

 

 ◎芝浜=「芝浜はやっても年に2,3回ですかね。年末に『芝浜』をやると、お客さんも『来た!』って前のめりになるでしょう。その感じが嫌なんです。期待されると、裏切りたくなる。根が意地悪なんで。気持ちはわかるんですよ。でも、それほどの噺なのかなという気もして、少なくとも、号泣するような噺ではないと思っています。けっこう間抜けな噺ですからね。お金を拾って、それが夢だったんだよって思いこまされちゃうわけでしょう。しんみりせずに、カラッと終わる方がいいな(一之輔)」

 

 ◎師匠と弟子=「柳家さん喬さんも、弟子の喬太郎には嫉妬したと語っていましたが」。一朝「何つうだろうな、一之輔がパーッと出てきたとき『あ、こいつ、俺よりすげえな』と思いましたから。噺がどうこうよりも、その出てきたときの勢いにびっくりしてね。これはかなわねえな、と。「抜擢真打」になった時は、そりゃ、もう、嬉しいです。夢みたいな話ですよ。噺家冥利に尽きるじゃないですか。披露目興行の最中は50席全部、トリを務められるわけですからね。のちのちまでも『一之輔は一人で真打になったんだよな』って言われるわけで」。一之輔は一朝を師匠に選んだ理由を「寄席が好きだったから。芸風に憧れた」と話す。

 

 ◎念のため=「『笑点』の一之輔は本当の一之輔ではない。断固として、ない。あれは世を忍ぶ仮の姿である。高座の一之輔、それこそが真の姿だ(あとがき)」