「女性の過労死」

     

                      竹信 三恵子


 たけのぶ みえこ  朝日新聞社学芸部次長、編集委員兼論説委員などを経て和光大学名誉教授、ジャーナリスト。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)など多数。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。


 

(1) なぜ性差が気になるのか

 

 過労死という深刻な悲劇について、「女性の過労死」と性別をつけて語ることに、違和感を抱く人は少なくないかもしれない。

 「女性の活躍」が喧伝され、ほぼどの年代でも女性が上回っていた貧困率が、20代前半では男性が上回るようになった。そんないま「女性に限る」ことへの男性の反発も強まっている。

 20代前半の男性の貧困率が女性を上回った原因については別途、改めて考えてみたい。だが、そんな空気の中でも「女性の過労死」について取り上げたいと思うのは、女性の過労死についての世間の反応がどこか鈍いと感じさせられることが多いからだ。

 電通の高橋まつりさんの過労自死のように、大きな話題となった事件もある。そこには華やかな大手企業で働く有名大学卒の総合職、という「恵まれた」女性が自死せざるを得なかった、という事実への世間の意外感があったように思う。

 ただそれは、まつりさんという若い女性の早すぎる死を惜しみ、悲しむものではあっても、働く女性の就労状況全般の劣化への問題意識には発展していないように感じる。

 実は、2000年代に入り、極めて幅広い職種で女性の過労死は起きている。ワタミの女性社員、教員、非正規公務員、看護師、NHK記者、そして、今年に入って東京高裁で逆転全面勝訴となった家事労働者の女性。そこには、男性と共通の要素と同時に、それとは異なる何かがある。

 15歳から64歳の女性の就業率が7割を超えたいま、「女性の仕事は楽なはず」「たまたまの不運」で片づけられるのか。その死を、女性の労働現場の改善のための持続的運動につなげていくことはできないのか。そんな思いで、あえて「女性」にこだわってみたい。